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記事No.11に関するスレッドです


神の存在証明について / 中川 [関東]
アンセルムスは「贖罪」について以下のようなことを語っているということです。

「贖罪」は、この「神にあらざるすべてのものにまさっているもの」によるほかに、道はないのである。ところで、この「神にあらざるすべてのものにまさっているもの」が「神ではない」とは、とうてい考えられないことである。したがって、ここから、「贖罪をなすことのできるものは神だけだ」という重大な「帰結」が得られる。しかし私たちは、「それ(Satisfactio)をなすことができるのは神だけであるが、それをなさなければならないのは人間だけである」ことを忘れてはならない。このことは私たちを、さらに重大な「帰結」へと導くのである。つまり、「贖罪」は、神によってのみ可能であるからといって、人間に関係なく、ただ神のみによってなされたのでは、確かに可能ではあるが無意味であるから、必然的に、ただ「神にして人間であるもの」のみによって成就されねばならないという新しい重大な「帰結」へ導かれるのである。
                             ( 印具徹著『聖アンセルムス』p.191-192)

どうやら「神にあらざるすべてのものにまさっているもの」という神の存在証明は、アンセルムスを受肉への洞察へと導いているようです。

アンセルムスは聖母マリアについても「神のもとではそれ以上に偉大なものが創造されないほどの純潔さをもって輝いてる」と述べているようで、神の存在証明といわれる命題は、マリアにおいてもその形式で用いられています。

どうやら「神の存在証明」というのは、アンセルムス神学全体を貫いて奥深い神の定義だったのかもしれません。

No.11 - 2015/03/15(Sun) 03:37:32