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記事No.52に関するスレッドです


ボナヴェントゥラの哲学と神学 / 中川 [関東]
次回の研究会のテーマは『ボナヴェントゥラの哲学と神学』となっているのですが、ボナヴェントゥラの『神学綱要』の序論に、「哲学と神学」について書かれている記述があったので抜粋します。

<哲学と神学について>

さて、哲学は、事物を自然の中にあるものとして、あるいは本性的に内在する概念にしたがい、あるいは把握された概念にしたがって霊魂の中にあるものとして扱っているが、これに対して神学は信仰の上に築かれた学として、また聖霊によって啓示せられた学として、恩寵や光栄また永遠の知恵に関する事物について扱う学なのである。そこで神学は哲学的認識を下に置き、神学にとっての鏡 ― すなわちそれにより神的な事柄を映す鏡 ― をつくるに必要な限りにおいて、自然的な諸事物を援用するのである。(p.14)

実に神学とは、神についてのまた第一原理についての説教であって、神学はもっとも高度な学であり教説であるゆえに、すべてまた第一にして最高原理においてそうするように、神において明らかにするのである。さればこの小品あるいは論考の中に含まれている、全ての問題に理拠を指定するため、私は第一原理からそれを得ようとこころみた次第である。そこでは聖書の真理が、神により、神から、神にしたがって、そして神のためのものであることを明らかにするがゆえに、このような学は正当に一であり、秩序づけられたものであり、何らの不当もなく神学と呼ばれるのである。(p.23-24)

脚注において、訳者の関根豊明氏は以下のように言っています。

他の初期スコラ学者と同様に聖ボナヴェントゥラもしばしば、聖書と神学をと同一にしている。聖書も神学もともにそれらの対象たる「真理」を啓示していることにもとづく。(p.24)

ボナヴェントゥラは聖書について「神秘主義神学」の大成者として言われるだけあって、以下のような表現をしています。

<聖書について>

聖なる書はそれによって精神の知性を喜ばせ、高めるようなもっとも高度な内容を有するばかりでなく、もっとも魅力ある美をも有し、ある驚嘆すべき方法によって我われの知性を喜ばせるのである。そして聖なる書がこの喜びを次第に深めるにしたがって、それらの書は神的な神秘の注視に向かって、我われの霊魂を準備するのである。(p.13)

ボナヴェントゥラの魅力ある文章です。

No.52 - 2015/03/30(Mon) 04:31:38