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御来房の皆様、こんにちは。 毎月五日の担当、戦国房薩摩守です。
今日(八月九日)、長崎市での平和祈念式典が行われ、数年振りにリアルタイムでこれを見ました。 というのも、道場主の現職はシフト勤務で、月毎に休みの日数が決まっている中で、希望する日は休みを取りやすい一方で、職務柄土日祝祭日は極力休まないこととされ、多くの月にて休みを強く希望する日を一日、二日申し出て、それ以外は会社側に選択を委ねています。
そして八月はお盆に父の法事を行う関係からそれ以外の休みに特定の日を希望しない為、原爆投下の日である八月六日、九日、日ソ開戦が起きた八月八日が休みになるかどうかはその年ごとのランダムです。
今年はたまたま九日である今日が休みだったので式典中継を見ていたのですが、今年は鈴木史朗長崎市長の平和宣言にて、特に注目する文言が聞けたので、リアルタイムで観れて良かったと思っています。
薩摩守が注目した文言は、
「地球に生きるすべての皆さん、一度立ち上まって、考えてみてください。被爆者は、思い出すのも辛い自らの被爆体験を語ることで、核兵器がいかに非人道的な兵器であるのかを世界に訴え続けてきました。この訴えこそが、78年間、核兵器を使わせなからた「抑止力」となってきたのではないでしょうか。」
と云うものです。 残念ながら、七八年前に核兵器が実際に使われて、その恐ろしさ、残酷さ、非人道性が何十年も訴えられて来たのに、核保有国は全く核兵器を放棄せず、逆に核保有に踏み切ったり、核保有を検討する国は微増ながら増える一方です。
実際、一度持ってしまった核兵器を放棄するのは様々な意味で困難を極めるでしょうし、核保有国に「核兵器を捨てろ。」と云うのはアメリカ国民に「銃を保持するな。」と説くに等しいと思っています。 それゆえ、核抑止論は根強く支持され、それに基づいて「日本も核武装すべき!」と訴える輩も後を絶ちません。 残念な事実とは思いますが、朝鮮戦争において原子爆弾の使用が見送られたのは、ソ連が原爆開発に成功していた事実も決して小さくないと思っています。
しかしながら、核抑止に基づいた平和など、例えていうなら片方の手で互いの咽喉元に短剣を宛がいながらもう片方の手で握手しているようなものと薩摩守は思っています。
今は平和でも、核兵器がある限り、何時どこぞの独裁国家のはねっ返り元首が使用するかも知れず、異教徒・異端派の惨殺を意に介さないテロリストに奪われる可能性も皆無ではなく、将来においてカリスマを持った人物が核使用を正当化したケースを想定すれば、抑止力による平和は常々正当なものでは無いと思っていました。
今回の鈴木市長が訴えた、被爆者の方々が思い出すのも辛い悲惨な経験を訴え続けて来たことが抑止力になって来ていたとの考えに賛同しまし、長崎市を最後に核兵器の使用が結果的に見送られ続けて現在に至っている経過の中には、ヒロシマ・ナガサキの惨状を知った為政者が、あのような惨禍をもたらすことに良心が咎めた点もあったと信じたい気持ちでいます。
改めて、原子爆弾に限らずすべての戦争で犠牲になられた方々の御霊に哀悼の誠を捧げるとともに、今後も長崎市が「最後の被爆地」であり続けることを祈念する次第です。
ではまた来月。
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No.135 2023/08/09(Wed) 16:57:37
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