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菜根道場BBS THE Ⅲ
何でもお気軽に書いていってくださいね。
菜根道場5・10日雑文(先月分) / 道場主
 御来房の皆様、こんばんは。
 毎月25日の担当、菜根道場道場主・菜根道人です。

 先月末は何かと忙しく、雑文の書き込みが月をまたいでしまいました。今年も後一ヶ月を割り、少し気が早いのですが、今年一年を振り返っていました。
 仕事面では異動があり(←有り体に云えば降格・左遷)、各房の更新は例年に比べれば滞らせなかった方ではありましたが、やはり遅々としたものだったと思っています。
 僅かずつでも更新が続いたのは、それだけプライベートで多忙にしつつも目を見張る出来事も熱中したことも無かったからに他なりません(苦笑)。

 では例によって分身達の動向をば。

戦国房薩摩守
 今月中旬には新作のアップを始められると思います。
 来年こそ平和な世界であることを願って、戦史のとある点に注目します。

特撮房シルバータイタン
 少し休み気味です。現在制作中の『復讐を捨てるとき』が重い命題で、様々な作品を対象としたため、各作品の振り返りにも時間が掛っています。

楽曲房ダンエモン
 2月に摩季ネェのライブに参加することが決定しました。
 単独ライブではないので摩季ネェを見られる時間は短いと思いますが、今年は真夜さんのライブに一回参加しただけだったので、これを皮切りにライブ参加の多い一年にすべく、公私ともに頑張りたいと思います。

法倫房リトルボギー
 苛立っています。その理由は前回の雑文で書いた通りですが、加えて年内の死刑があるのか不安を抱いています。
 年内に必ず死刑を執行しなくてはならないとまでは考えていませんが、執行の無い年が2年出来ることで、存廃論議が全く行われないまま、ただただ死刑制度が形骸化し、凶悪犯程拘置所内で働きもせず、税金で生き、天寿を全うするケースが続出するのを懸念しています。

 ではまた来月(正確には今月末)。
 

No.404 2024/12/05(Thu) 10:12:41

Re: 菜根道場5・10日雑文(先月分) / 猛猫に注意
おはようございます。

会社で転勤があったそうですね。サラリーマンには転勤はつきものですが、わたしは左遷に次ぐ左遷で、とうとう会社をリストラされたのはご存じだと思います。

まあ、人事評価が適切にされていないブラック企業が多いですね。

あと、先日、病気欠勤で診断書を出したのに、上司に仮病だと言われたのはひどいですね。わたしなら、猛猫にも猛犬にもなって、法的手段を含む、適切な処置をしますね。

ライブは地元のライブ中心ですが、先立つものと相談しなから参加しています。

先日の猪苗代湖ボート事件の無罪判決はひどいですね。

わたしは、過ちを犯してしまっても、できれば寛大な判決をと思っているのは道場主さまもご存じですが、あれが無罪には怒りました。

検察は上告して、最高裁での無罪破棄を求めます。

No.410 2024/12/19(Thu) 10:16:44

Re: 菜根道場5・10日雑文 / 道場主
> おはようございます。
>
> 会社で転勤があったそうですね。サラリーマンには転勤はつきものですが、わたしは左遷に次ぐ左遷で、とうとう会社をリストラされたのはご存じだと思います。

 前に聞きました。まあ、私もバイトを含め数々の解雇経験があります。表向きの理由は様々でしたが、結局は私が無能故でした。

>
> まあ、人事評価が適切にされていないブラック企業が多いですね。

 ワンマン社長や、人事関係者の好き嫌いが反映される状態ではホワイトもブラックも無いですね。

>
> あと、先日、病気欠勤で診断書を出したのに、上司に仮病だと言われたのはひどいですね。わたしなら、猛猫にも猛犬にもなって、法的手段を含む、適切な処置をしますね。

 はっきり「仮病」と云われた訳では無く、「何で金曜ばかり休むんだ?理由を云え?」と云う無理難題を振られたものでした。「嘘だろ?」と云いたそうにしつつ、はっきり云わない姿勢がいやらしかったですね。
 当然ですが、有給自体は通りました。

>
> ライブは地元のライブ中心ですが、先立つものと相談しなから参加しています。

 こちらも同様です。

>
> 先日の猪苗代湖ボート事件の無罪判決はひどいですね。
>
> わたしは、過ちを犯してしまっても、できれば寛大な判決をと思っているのは道場主さまもご存じですが、あれが無罪には怒りました。
>
> 検察は上告して、最高裁での無罪破棄を求めます。

 湖上の交通事情に関しては詳しいことが云えないので難しいですが、被害の甚大さを振り返れば、釈然としません。
 陸の上なら、運転者に過失が無くてもあれだけの死傷者が出れば全くの無罪にはならないでしょうに。

No.413 2024/12/26(Thu) 10:28:29
Re:菜根道場5・10日雑文 / 薩摩守
※これはベルトランさんの書き込みに対する返信の後半です。
 NGワードの関係から返信書き込みが上手く行かないので、別スレッドにて記載させて頂いています。

 続きです。

> 次に新コーナーの屈辱の退位のコーナーについてです。
> 私は天皇の退位制度は現代で言う内閣不信任決議のようなものだったのだろうと思います(以下、略)。

 中国の禅譲と似ていると云えましょうか?歴代天皇で他者の手に掛かったのが二人だけであることを考えると、確かに退位が命を救ったケースはあると思います。

>
> 次に新コーナーの信長の同盟者達のコーナーの徳川家康の項目についてです。
> 実は松平元康が古巣である岡崎城に戻ったのは、最近では最前線での防衛を理由とした今川氏真自身の指示によるもので、この時点では氏真の命令に従っただけだったというのが真相のようです(以下略)

 あり得る話です、現代よりはドライだったという事ですね。

> また実父の関口親永が氏真から(以下略)
 親永が氏真に処分されていないのであれば、かなり通説と様相が異なってきますね。
 昨今では信康は本当に武田と内通し、謀叛を企んでいたとの説の囁かれていますね。実際はどうだったのでしょう?


> 天目山の戦い直前に武田勝頼は北条領に攻撃を仕掛けていますがこれは武田方が優勢で、後の展開を知らない当時の人からすれば織田より武田の方が優勢ではないかと考える者がいても不思議ではなかったからのようです(以下略)
 確かに武田崩れにおける櫛の歯現象は滅亡の歴史によく見られることながら、勝頼の場合は物凄い速度でしたね。
 二人の義弟(穴山梅雪・木曽義昌)の離反はそれだけ大きかったという事でしょうか。

No.398 2024/12/02(Mon) 11:35:43

Re: Re:菜根道場5・10日雑文 / 薩摩守
 更に続きです。

>
> 次に浅井長政の項目についてです。
> 実は義昭が諸国の大名に御内書を送った理由は信長包囲網を形成するためではなく、協力者を増やしたかっただけのようです(以下略)。
> このあたり後の義昭追放から逆算した誤りといえます。

 戦国時代は、「対立、即、潰し合い」と見てしまいそうになりますね。立場上は信長も室町幕府の臣下だった訳ですから、義昭を討つのははかなりのリスクがあったでしょうし、義昭も義昭で信長を討っていれば「恩知らず!」との誹りを受けたでしょうから、互いに相手を討つという選択肢自体は無かったかもしれませんね。

>
> 次に毛利輝元の項目についてです。
> 実は義昭の兄・義輝は毛利家の仇敵である尼子家に守護代の役職に任命したことなどで不満を持っていたこともあり義昭にも必ずしも好意的ではなく、義昭の受け入れに慎重だったのもこれも理由だったようです(以下略)

 さしもの信長も中国地方の情勢まで詳しくはなかった様ですね。戦国時代を検証するにあたって、手紙か口頭しか情報・意思伝達手段が無く、現代よりも遥かに時間が掛ったことを改めて認識し直す必要がありますね(苦笑)。分かっていてもついつい忘れがちになることと思います。

>
> 次に「大敗」を検証のコーナーの月山富田城の戦いの項目についての続きです。
> 大内義隆は実は反大内勢力を次々と撃破し、大寧寺の変の直前には周防大内氏の最大版図を実現しています。

 北条氏政・武田勝頼も一時は最大版図を実現していました。「亢竜悔い有り」といったところでしょうか。

> そもそも文弱とか公家の真似事などの彼に対するよくある批判は、わかりやすい例だとかつての今川義元などにもいわれていた結果的に御家を滅ぼしてしまった当主に対するレッテルの定番であるため、大内義隆に限らずこういう批判はあまり信用しない方がよいともいえます。
 御家滅亡時の当主とは後々まで辛いものですね。

>
> また彼の官位については、兵部卿は日明貿易で中国側に大内家が日本の代表であることをアピールするために必要とされたものであり(以下略)

 名乗った者がちですね、まあ「薩摩守」も自称ですし(苦笑)。

>
> また義隆が文治派重臣を重用したのは腑抜けたからではなく、当主権限の強化が目的だったと現在では考えられているようです(以下略)

 陶隆房は義隆の子を立てて自分が後見役として大内家を立て直すつもりだったとも云われています。そうなると義隆父子が共に失われたことは極めて痛恨のミスだったと云えます。

>
> 大寧寺の変の原因としては怨恨説もあるようです。
> 文明14年(1482年)に、隆房の祖父の陶弘護が吉見正頼の伯父の吉見信頼に討たれた事件があり(以下略)

 参考になりました。かなり複雑で、大内家の歴史を語るにはまだまだ私は勉強不足でしたね。

>
> 次に関ヶ原の戦いの項目についての続きです。
> 最近はどうも小山軍議自他が実際にあったかを疑う説も出てきたため、この辺りの通説もかなり怪しいようです。
> また東軍諸大名が三成を討つべきだと主張したのは上杉討伐が言いがかりだったというより、単に上方を制圧した三成を討たないとまずいという状況判断と考えるのが妥当ではないでしょうか?(以下略)

 まあ、五大老の一人で、当時一二〇万石を有していた上杉景勝を討伐し、その戦で大手柄を立てれば更なる立身出世が見込めますから、武断派の戦意は強かったと思います。
 ただ、景勝が「上洛命令に応じなかった、即、謀叛確定」はなんぼ何でも暴論だと思いますし、直江状の文面を知っていれば、景勝よりは三成の方が攻め易い相手だったという基本は揺らがないと思います。

>
> 次に胡亥と悪宦官・趙高についての続きです。
> 始皇帝が正常ならば胡亥が12~15歳で後継者に選ぶことはないでしょうが、秀吉の晩年みたいに暴走していたならあり得るのではないでしょうか。
> 実際始皇帝の晩年はかなり批判されるような行動も多いですし、衰えも感じられなくもないです(以下略)

 李斯と趙高がしっかり補佐していれば誰が二世皇帝でも大丈夫、と踏めば、溺愛する末子を選んだのはあり得ますね。
 結局すべては『史記』から想像するしかありません。個人的には偽手紙で排除された扶蘇の子・子嬰がその後生き延びていたのが解せません。まあ、子嬰が扶蘇の子であることも断言出来ないのですが。

 後、焚書坑儒は私も眉を顰めています。そもそも李斯の献策は苛烈なものばかりで、そのことが世の反発を招き、秦滅亡の遠因でもあったと見ていますので。

>
> 次に戦国の鬼達のコーナーの柴田勝家の項目についての続きです。
> 勝家が秀吉と仲が悪かったかというと私の知る限り同時代の確かな話で秀吉との不仲を示す話を見たことがないのでかなり怪しい気がします(以下略)

 北陸攻めの最中に秀吉が軍議の場で勝家にブチ切れて勝手に離脱したは話はどうでしょう?
 本来ならかなり重い処分が下って然るべき軍令違反で、秀吉に理があり、且つ、勝家との仲が相当悪かったことが広く認識されていたからこそ信長はこれと云った処分も下さず、勝家とは正反対の中国攻めを担わせたと思っています。
 確かに大河ドラマに見られる、二言目には「サル」と罵って、露骨に見下していたのはよくある誇張と思っていますが。

>
> さて今回はこれまで。
> 更新を楽しみにしています。
> それではまた。

 今回も楽しく、且つ参考になるご意見をありがとうございました。
 新作のアップは来月中旬ぐらいに始められると思います。今後も新作・旧作共々宜しくお願いします。

No.399 2024/12/02(Mon) 11:36:53
(No Subject) / 匿名
梶原景時の讒言は「平家物語」とかが元になっているのですが、「平家物語」の諸本の中には讒言の記述が無いのもあり、
「吾妻鏡」に至っては梶原景時を討伐した北条氏の正当性を示すものですから貶める記述があって当たり前です。

No.396 2024/11/30(Sat) 19:06:39

Re: / 薩摩守
 閲覧および、投稿ありがとうございます。

> 梶原景時の讒言は「平家物語」とかが元になっているのですが、「平家物語」の諸本の中には讒言の記述が無いのもあり、
> 「吾妻鏡」に至っては梶原景時を討伐した北条氏の正当性を示すものですから貶める記述があって当たり前です。


 貴文をお見受けしましたところ、拙作「真に受けるなよ、「讒言者」を………」を閲覧下さったかと思われます。
 確かにこの作では景時をかなり批判的に書いています。
 一方で、景時を「『君側の奸』なのか?」でも採り上げており、こちらでは作品の主旨から比較的肯定的に記しています。

 どちらの作でも、景時が『平家物語』でヒーローとされた源義経を敵に回している傾向が強いので、悪く書かれがちなのは触れています。
 改めて『平家物語』も、『吾妻鏡』も、歴史を学ぶ重要な史料でありながら、その面白さ、その知名度ゆえに実像を歪めかねない弊害が避けられないことを痛感しています。

 かかる拙いサイトではありますが、また閲覧頂ければ幸いです。

No.400 2024/12/02(Mon) 11:44:25
菜根道場5・10日雑文 / リトルボギー
 オッス!毎月20日の担当、法倫房リトルボギーだ!!
 何?態度が悪い?まあそう固いことを云うな(お約束)。

 さて、今日の話題は例によって死刑についてだ。
 実に(個人的に)気に食わない展開が続いている。

 きっかけが袴田巌氏の再審無罪確定になることは閲覧者の皆々様も容易に想像がつくと思う。
 予測通り、袴田氏の無罪確定をきっかけに国内外の死刑廃止派が鬼の首を取ったように死刑廃止を叫び出した。正確には制度自体の見直しと、それまでの間執行を停止することを訴えているものだが、着地点が死刑廃止に在り、それまでの間執行を停止するとなると、事実上の即時廃止に等しい。
 同時に、法務大臣を初めとする法務省関係者は死刑執行に及び腰だ(この際断言してやる)。

 確かに法務大臣にとって、現状が通常以上に執行命令を出しづらい状況であることは否めない。だが、俺が気に入らないのはそこではない。

 死刑廃止論者は元々死刑に反対なのだから、死刑廃止を訴える有力な一因である冤罪確定が起きた今、有力な追い風を受けているだろう。俺が死刑廃止派だとしてもやはりこの状況は利用するだろう。
 気に入らないのは、冤罪問題を別にしても死刑反対に変わりはないという事で、本気で冤罪を問題視するなら死刑制度に限らず、万事に訴えるべきだ。
 過去作で俺自身触れているが、冤罪による科刑が取り返しのつかないものであることは死刑以外の刑罰でも同じで、命だけが取り戻せないものではない。故にまずは冤罪で有罪にならないことがすべての基本だ。同時に、死刑に賛成する以上、廃止派よりも存置派の方が冤罪死刑を阻止する側に立つべきである。

 もし冤罪だけが死刑に反対する理由なら、宅間守や加藤智大の様に囚人が見ている中で複数人を殺めたケースの様に、冤罪の疑いが持ちようの事件では死刑を反対する理由にはならない。
 だが、死刑廃止派は彼奴等の死刑執行にも抗議した。「冤罪問題以外にも死刑に反対する理由は幾つもある。」と云われればそれまでだが、ならば冤罪問題は死刑と別途に語って欲しいものである。

 確かに袴田氏のお姉さんが、「もしすでに執行されて入れば」と考えたり、足利事件の菅原さんの様に「無期懲役判決でなく、死刑だったら。」と考えたりすれば、最初から死刑が無いことを望みたくなる気持ちは分からないでもない。
 だが、それは裁判で正しく裁かれることに尽力すべきで、誰がどう考えても冤罪の疑いがないケースまで死刑対象とならないのはおかしい。
 別の視点で云えば、もし、警察や検察の捏造証拠で無実の人が死刑執行されたのだとすれば、捏造者は死刑になるべきだと俺は思っている。

 もう一転気に食わないのは法務関係者の沈黙ぶりだ。
 今月13日、元検事総長や元警察庁長官らが参加した「日本の死刑制度について考える懇話会」が、現行死刑制度には多くの問題があるとして、国会や内閣に死刑存廃を含めて議論する場を設けるべきだとの提言を盛り込んだ報告書を公表した。

 この報告自体には何の問題もない。個人的感傷としては、「冤罪確定直後のタイミングを見計らいやがって。」という気がしないでもないが、別に卑怯でも姑息でもない。何時だしても良い意見だし、出してはいけない時がある訳でもない。
 気に食わないのはこれに対する政府の反応だ。
 官房長官と法務大臣が、国民世論の多数が死刑を「やむを得ない」と考え、凶悪犯罪も後を絶たない現状があるとして、「罪責が著しく重大な凶悪な罪を犯した者に対して死刑を科することもやむを得ない」との認識を示した訳で、これも問題はない。
 気に入らないのは、「現時点で制度の存廃などを検討する会議体を設けることは考えていない」と語ったことだ。

 仮に「死刑制度存置」の結論ありきに立ったとしても、現行の死刑制度には存置派・廃止派のいずれもが納得していないことが多過ぎる。
 後者にとっては「話し合いの場すら持たない。」とされたのだから、完全黙殺されたに等しい。恐らく廃止派の多くが死刑廃止の道は遠く困難な道のりで、まずは数多くの歯止めを為し、徐々に頻度や問題点を減らし、最終的には長期の執行停止から廃止されることが順当と見ているだろう。それを一応は「現時点では」という限定が為されていても、「話し合いすらしない。」は存置の俺から見ても非礼だ。

 また前者から見ても、「半年以内の執行が全く無視されている。」を初め、執行に関するブラックボックス状態には憤懣やる方無い想いを抱いているので、存廃に限らず広く意見を求め、時代時代にあった改正を図ることは大切だと思っている。
 情報が公開され、議論が活発化することで、もしかすると死刑制度は廃止されるかもしれない。それは俺の望む事ではないが、幅広い意見でしっかり話し合い、国民の多くが納得した事ならやむを得ないと思っている。逆に死刑廃止国でも世論の大多数を無視して廃止され、それを日本にも押し付けようとしてる動きの方が問題だ。国民世論や民主主義を無視するつもりか!?と怒鳴り付けたくなる。

 話を戻すが、存置派の俺でも死刑制度、取り分け執行に関する事柄は伏せられ過ぎで、執行の後の記者会見でも法務大臣は「舐めてんのか?」と云いたくなる程、「回答を差し控えさせて頂きます。」を連発する。
 存置派として、胸を張って執行し、死刑制度の必要性・重要性を堂々と世界に主張する為にも、情報開示と幅広い議論はあってしかるべきと考える。

 そして、輪の掛けて気に食わないのは、それほど死刑問題に対して周囲の意見を撥ね退けながら、執行を全く行っていないことだ。
 要するに考えを変える気は無いが、批判や避難も受けたくなく、嵐が過ぎ去るのを待っているに過ぎないということだ。

 確かに世の中には下手に公開出来ない情報もあるが、伏せてばかり、回答を差し控えてばかりで世の指示や信頼を得ようとは「おこがましい。」としか云いようがない。

 色々云ったし、乱暴な口調も展開したが、まずは情報を幅広く後悔し、活発に議論することが大切なのを改めて訴えたい。
 よく云われる「死刑廃止は世界の潮流」も、一面(国家の数)ではその通りだが、人口比や宗教圏では様相が大きく異なるし、韓国では死刑執行の再開が、イギリスやロシアでは死刑制度復活が、世論においても声高に叫ばれている。殊にイギリスではEU離脱を叫ぶ要因にすらなっている(EUに加盟する条件は死刑廃止国であること)。

 反対意見に耳を傾けるのは愉快なことではない。
 だが、反対意見と堂々と渡り合い、我意の正統性をしっかり主張することも大切だと改めて訴えたい。

No.394 2024/11/26(Tue) 15:24:01

Re: 菜根道場5・10日雑文 / 真言宗猫鳴派
こんばんは、本題とは直接関係ありませんが、北の国で訃報がありましたのでよろしくお願いします。

現在、わたしはボーカルも習っていますが、本家のボーカルの先生が横浜在住ですので、なかなかレッスンにも行けなかったので、今年から、札幌でも本格的にボーカルのレッスンを始めましたが、その先生の夫である、ピアニスト兼ライブハウスのオーナーのSさんが、11/19に病気のため、札幌市内の病院でお亡くなりになりました。44歳という若さでした。

先生は、旧姓でN先生で、そちらのライブハウスを借りてレッスンしていましたが、その後、ライブを聴いてという場合も多く、先生に見本を見せていただいたり、今回亡くなられたピアニスト兼オーナーの方も演奏に参加していました。

数ヶ月前には、今後はSさんとさせていただきますが、ライブの合間に話が盛り上がって、Sさんは青森県出身なのですが、南部藩と津軽藩のことなどを詳しく説明していただいたり、青森県出身なら恐山は知っていますが、西日本の西国霊場の写しの、津軽三十三観音霊場も知っていました。

もうその時には、病魔が襲っていたと思います。

恐山はともかく、地方霊場の津軽三十三観音霊場の話題が出て来たのは、いま思えば、虫の知らせだったのでしょうか?

わたしは、一応法名はいただいていますが、僧籍にはなく、気付くことができなかったのかもしれません。

もし気付いていれば、檀家のご住職さんや、千葉県の漁業の街糠のお寺のご住職さんに相談して、祈願や御護摩を焚いていただければ、もしかしたら結果が変わっていたかもしれないと思うと大変悔いが残ります。

N先生も、わたしが仏教徒であり、四国のお遍路さんや巡礼の軽減もあり、現在、公的な機関以外は法名を使用しているので、もしわたしに相談していただけれは、ご住職さんにお願いするか代参をすればまた結果が変わっていたのでしょうか?
わたしにはわかりませんが。

まあN先生がSさんとご結婚されたのも知りませんでした。

旧姓で活動していましたし、個人情報を聞くことがハラスメントになる場合もある時代になりましたので。

結婚して1年も経たず、病院に入院して1カ月も経たずにお亡くなりになりました。

わたし還暦を迎えられましたが、干支とねこ年を入れても13年なので、それ以上若くしてお亡くなりになり、葬儀での、音楽仲間の悲痛な叫びや、ショックで会葬者に挨拶さえできなくなった、妻のN先生や遺族の方たち。葬儀会社の方が代わりに挨拶文を代読していました。

今回も、2年前に43歳で亡くなられた女性ピアニストの方と同じように、亡くなられた方と遺族の方とも両方ともつながりがあり、より以上に悲しみに包まれました。

それにしても訃報ばかりですね。 
そういえば、わたしと顔の良さを競っていた、アラン・ドロンさんも今年亡くなりました。わたしは憎まれっ子なので、長生きできそうですね。(苦笑)

今回、浄土宗の方でしたので、南無阿弥陀仏とお唱えして、御冥福をお祈りいたします。合掌。

最後にですが、何度も書いていますが、檀家のご住職さんは、あれだけきっぱりとぐぅの音が出ないほど、そして怖い顔して、死刑にしてはいけない!と毅然とした態度だったのか?
やはり、伝法灌頂を受けて、真言密教を真髄を体験したからなのか?
結縁灌頂しか受けていないわたしには未知の世界です。
檀家のご住職さんは、わたしのお師匠さまであり、父の亡くなったときの導師でもあります。ご住職さんの発言は尊重しなければいけないとは思います。
道場主さまはわたしと同じ場面では、ぐぅの音が出るのだろうか?

死刑、本当に難しい問題です。

明日仕事ですので、代表曲と仮面ライダーへのレスポンスは後日させていただきます。よろしくお願いします。

No.397 2024/12/01(Sun) 23:31:25

Re: 菜根道場5・10日雑文 / ダンエモン
> こんばんは、本題とは直接関係ありませんが、北の国で訃報がありましたのでよろしくお願いします。
 それは哀しい話です。
 内容を精査し、私、ダンエモンがレスポンスさせて頂きます。無礼者のリトルボギーに替わって(苦笑)。

>
> 現在、わたしはボーカルも習っていますが、本家のボーカルの先生が横浜在住ですので、なかなかレッスンにも行けなかったので、今年から、札幌でも本格的にボーカルのレッスンを始めましたが、その先生の夫である、ピアニスト兼ライブハウスのオーナーのSさんが、11/19に病気のため、札幌市内の病院でお亡くなりになりました。44歳という若さでした。

 60代でも早世とされる現代において、それは何とも傷ましいですな。猫さんや道場主よりもお若いとは………。

>
> 先生は、旧姓でN先生で、そちらのライブハウスを借りてレッスンしていましたが、その後、ライブを聴いてという場合も多く、先生に見本を見せていただいたり、今回亡くなられたピアニスト兼オーナーの方も演奏に参加していました。
>
> 数ヶ月前には、今後はSさんとさせていただきますが、ライブの合間に話が盛り上がって、Sさんは青森県出身なのですが、南部藩と津軽藩のことなどを詳しく説明していただいたり、青森県出身なら恐山は知っていますが、西日本の西国霊場の写しの、津軽三十三観音霊場も知っていました。

 趣味に加えて歴史や信仰迄話し合えるとは、稀有な方を失くされましたね。

>
> もうその時には、病魔が襲っていたと思います。
>
> 恐山はともかく、地方霊場の津軽三十三観音霊場の話題が出て来たのは、いま思えば、虫の知らせだったのでしょうか?

 余り気にされない方が良いです。
 大切な人を亡くすと、どうしても直前にあった出来事に偶然の一致や虫の知らせを見出し、時にその時に行動に出なかった自分を責めたりしますが、そんなことは故人も喜びません。

>
> わたしは、一応法名はいただいていますが、僧籍にはなく、気付くことができなかったのかもしれません。

 そんなことを云ったら、道場主なんぞ、仏教系の高校を卒業したという縁でしかない、生臭私度僧です(苦笑)。

>
> もし気付いていれば、檀家のご住職さんや、千葉県の漁業の街糠のお寺のご住職さんに相談して、祈願や御護摩を焚いていただければ、もしかしたら結果が変わっていたかもしれないと思うと大変悔いが残ります。
>
> N先生も、わたしが仏教徒であり、四国のお遍路さんや巡礼の軽減もあり、現在、公的な機関以外は法名を使用しているので、もしわたしに相談していただけれは、ご住職さんにお願いするか代参をすればまた結果が変わっていたのでしょうか?
> わたしにはわかりませんが。

 何かをして差し上げたかったという気持ちは大切ですが、だからと云って、何もしなかったと考え、自責されることもないかと思います。

>
> まあN先生がSさんとご結婚されたのも知りませんでした。
>
> 旧姓で活動していましたし、個人情報を聞くことがハラスメントになる場合もある時代になりましたので。

 うちの道場主は、学生の頃から、組、部活、所属団体、職場などで、誰かと誰かが付き合っているという話や様相を見聞きしている様で、実は全然見聞きしていませんでした。
 他人様のことより、自分が惚れたターゲットのことばかり考えていましたので(笑)。

>
> 結婚して1年も経たず、病院に入院して1カ月も経たずにお亡くなりになりました。
>
> わたし還暦を迎えられましたが、干支とねこ年を入れても13年なので、それ以上若くしてお亡くなりになり、葬儀での、音楽仲間の悲痛な叫びや、ショックで会葬者に挨拶さえできなくなった、妻のN先生や遺族の方たち。葬儀会社の方が代わりに挨拶文を代読していました。


>今回も、2年前に43歳で亡くなられた女性ピアニストの方と同じように、亡くなられた方と遺族の方とも両方ともつながりがあり、より以上に悲しみに包まれました。
 特撮房シルバータイタンは、多くの人々に愛された有名人が若くして亡くなる度に、仲間と「死神の人選は絶対に間違っている!」と声を荒げ、法倫房リトルボギーも、「こんな人達よりも、死刑囚の方をさっさと連れて行けや!」と憤ったりしています。


>それにしても訃報ばかりですね。 
そういえば、わたしと顔の良さを競っていた、アラン・ドロンさんも今年亡くなりました。わたしは憎まれっ子なので、長生きできそうですね。(苦笑)
 全くです。私も先月の雑文で述べましたが、今年は特に声優諸氏の訃報が酷いです。先日また一人高名な方が亡くなりました。天寿と云えば天寿ではありましたが。


>今回、浄土宗の方でしたので、南無阿弥陀仏とお唱えして、御冥福をお祈りいたします。合掌。

>最後にですが、何度も書いていますが、檀家のご住職さんは、あれだけきっぱりとぐぅの音が出ないほど、そして怖い顔して、死刑にしてはいけない!と毅然とした態度だったのか?
>やはり、伝法灌頂を受けて、真言密教を真髄を体験したからなのか?
>結縁灌頂しか受けていないわたしには未知の世界です。

 確かに未知の世界です。私は真言宗の御坊様には、死刑に対して肯定的であって欲しくないとは思いますが、「どんな酷い犯罪であっても死刑にしない。」はどうしても納得が出来ません。

>檀家のご住職さんは、わたしのお師匠さまであり、父の亡くなったときの導師でもあります。ご住職さんの発言は尊重しなければいけないとは思います。
>道場主さまはわたしと同じ場面では、ぐぅの音が出るのだろうか?

 多分反論出来ないと思います。と云うか、姑息ですが反論を避けると思います。理由は上述通り、御坊様に死刑に対して肯定的であって欲しくない一方で、凶悪過ぎる殺人犯を生かし続けることに私自身は肯定的になれないからです。
 うん、やはり姑息ですね(苦笑)。


>死刑、本当に難しい問題です。

>明日仕事ですので、代表曲と仮面ライダーへのレスポンスは後日させていただきます。よろしくお願いします。
 お待ちしています。

No.401 2024/12/02(Mon) 12:06:01
このサイトの戦国房についての感想6 / ベルトラン
こんにちは、お久しぶりのベルトランです。
また丁寧に返事をいただきありがとうございます。
また記事の内容に対する反論も多くありますがご了承ください。


まず新コーナーの末弟考察のコーナーについてです。
私の末弟についてのイメージは末弟本人より、父親が末弟を可愛がるあまり嫡男を排除して末弟を後継者にしようとして内紛を発生させた話がよくあることでしょうか。
あと遊牧民の中には末子相続の伝統のある部族もあるともいわれたり、日本でも戦国以前は母方の血筋も重視されたり、家督相続には様々なパターンがあるので、その立場は一概には言えないという方が本当のような気もします。


次に新コーナーの帰ってきた「菜根版名誉挽回してみませんか?」のコーナーの不肖御曹司編の項目についてです。
ただ伊周さん、本職はあくまでも現代で言えば政治家か官僚なんですから、肝心の政務で結果を出せなければいくら文才があってもフォローにはならない気が私はするんですよね。
また藤原道隆及びその子供達が良くも悪くも家族間の愛情が強かったといっても、むしろそれでかえって家族を不幸にしていたら別に擁護にはならないとも思うんですよね。

また現代とは違う貴族政の時代では貴族の子弟の地位が優遇されるのは、道隆による息子達の取り立て振りみたいに行き過ぎではなければ批判されることではないということは考えなければなりません。
道長の場合、そもそも伊周の他同時期の高官が次々に病没したりして、彼しか政治を主導できる人がいなかったことも影響しています。
実際病気で出家したいと言っているのに却下されて、使者に当たり散らしたという記録もあったり、道長の代わりがおらずなかなか辞職や引退が認められなかったという事情もあったようです。

伊周を復権させるときには、道長は公家たちの反発を抑えるのに苦労していたりと根本的に彼は人望がなかったといえます。
何しろ道長の満月の和歌を記録に残した藤原実資すらも、伊周の復権に不平を記録に残しているくらいですから。
弟の隆家みたいに自らの行いを改めていれば、もっとましな人生になっていたように思えてなりません。

あと藤原隆家に関して言えばこの時代は刀伊の入寇以外には大きな戦乱がなく、彼の武人としての才能を生かす機会が少なかったのも彼が正当に評価されなかった原因のように思います。
まあ彼の場合、長生きして刀伊の入寇という武勲を上げる機会に恵まれて汚名返上の機会に恵まれたのが兄よりは幸運だったかもしれませんね。


次に高師直の項目についてです。
師直の悪評はだいたい太平記などが出典であんまり信用できないんですよね。
石田三成と同じような立ち位置で、嫌われやすい地位でもあったとはいえるかもしれませんね。
実際室町幕府の管領には他にも反対派の策謀により失脚した人は多いですし。

あと高師直の一族には生き残りもいて、師直時代の繁栄を取り戻すことはなかったもののそれ以降も幕府に仕えていて、子孫の一人はは永禄の変で足利義輝と運命を共にしています。
高一族は最後まで足利家に忠義を尽くした一族と言えるかもしれませんね。


次に楠木正儀の項目についてです。
私としては現代では南北朝時代に詳しい人でなければ、そもそも正儀のことを知らないような気もします。
現代では皇国史観の人は多くないですし、彼を知っている人なら彼のおかれた事情についても知っている可能性が高そうなので、案外彼を変節漢扱いする人はあまりいないかもしれませんね。


次に足利直義の項目についてです。
私は別の理由で「尊氏が直義に毒を盛った」という説には否定的です。
確かに高兄弟が没っした丁度一年後に没っしたのは怪しいとはいえますが、逆にそんな怪しい日に毒を盛るか?とも思います。
私がもしも尊氏だったとして、直義を毒を盛ると考えたら高兄弟が没した丁度一年後なんていう怪しまれそうな日は避けると思いますから。

直義は自害かもしれませんが、私としては本当に単なる病気かもとも考えます。
足利一族はあまり長生きの家系でありませんし、直義はこの時もうそこそこの年齢です。
そもそも高兄弟が討たれた丁度一年後に偶然病没する確率は単純に計算すると365分の1の確率で、これは少なくとも宝くじで一等が当たる確率よりははるかに高く、決してあり得ない話ではありません。
そもそも直義は晩年にはかなり行動が消極的になっていて、病状がすでに悪化していたからとも考えられます。
また直義を自害としても、原因は当てつけというより病気で気が弱くなっていたからかもしれませんね。

直義と師直の対立ではやや保守的な直義と革新的な師直との政策の差が原因として大きく、必ずしも師直に一方的に非があったわけでもないですからね。
またそもそも建武政権と同じく恩賞問題がこじれたのも観応の擾乱の大きな原因だったようで、この問題はこの時代解決が難しかったと言えます。


あと後醍醐天皇の建武の新政が武士達を冷遇したというのはいまでは否定されています。
後醍醐天皇は幕府は否定しましたが武士自体はむしろ厚遇しており、武士の不満は恩賞問題や領地問題で混乱を生じたことが大きかったようです。
ただこの辺りは室町幕府でも観応の擾乱のような大きな騒動になっていますからこの時代解決困難な問題であったともいえます。

後醍醐天皇の時代、鎌倉幕府は将軍が傀儡で、執権も傀儡で、得宗も傀儡で、北条家の家臣である御内人が実権を握るというややこしい体制で、これが鎌倉時代末期の混乱を解決できなかった大きな原因だと考えられたことも後醍醐天皇が天皇中心の政治を目指した理由で、後醍醐天皇が「俺様がナンバーワン」でなければ気の済まない性格だったからというわけではないようです。
そもそも鎌倉時代末期の幕府はもはやただ腐敗するばかりであり、これを滅ぼすことが不正義とはいえないでしょう。

またこの時代は従来の政策がいきづまり、現実にあったやり方を手探りで模索しなけらばならない困難な時代でした。
たとえば高師直の武力による強制執行を伴った土地給付の制度も元は建武の新政で始まった制度であり、室町幕府の政策の多くは後醍醐天皇の政策が元になっています。
後醍醐天皇への批判は結局のところ、高師直と同じく太平記などによる実態とはかけ離れたイメージによるものが大きいわけです。


次に足利義詮の項目についてです。
この人はやはり影が薄いですよね。
寿命の短さも大きな要因でしょうが江戸幕府の二代将軍秀忠も影がやや薄いので、二代目のトップってそういう例が多いのかもしれませんね。


次に朝倉義景の項目についてです。
義景は前も言いましたが、加賀一向一揆が背後にいたのと本国越前が雪国で冬になったら撤退しなければならない不利を解決できなかったのが大きいですよね。
上杉謙信や柴田勝家などもこの冬に動きが取れないという問題を解決できませんでしたし、義景は最初から不利だったように思いますね。


次に斎藤義龍の項目についてです。
彼は最近ではむしろ親を討った事よりも当主としての治世に疑問が投げかけられているようです。
前も言いましたが、そもそも桶狭間の合戦の一年後に病没しているために信長の美濃攻めが本格化する前に亡くなっているので、長生きした際にでの程度信長の攻撃に抵抗できたか未知数ですから。

史実で言うと、織田信行や織田信賢などの尾張国内の信長の反対勢力を支援するもののことごとく失敗し、また信長の危機である桶狭間の戦いの際にも何もできませんでした。
また晩年には自分の信仰する禅宗を優遇しようとして、これに美濃の寺院が猛反発して別伝の乱という宗教騒動を引き起こして、義龍の死後に龍興が謝罪して決着しています。

義龍はもしかしたら早く没したおかげで御家滅亡の暗君の汚名を龍興に押し付けることができて、今までがむしろ過大評価されていた部分もあったのかもしれませんね。


次に毛利輝元の項目についてです。
最近では輝元はむしろ自ら積極的に西軍を主導し、関ヶ原の戦いの敗戦後に安国寺恵瓊や石田三成に責任を押し付けて自らは責任を逃れたというのが有力になっているようです。
また前にも言いましたが家康が広家との約定を反故にしたというのも最近では否定され、輝元は関ヶ原に出陣しなかっただけで九州・四国・中国などの西国では積極的に軍事行動を起こしていたため当然の処罰だったというのが有力です。
むしろ今までが美化されていた部分も大きいと言えます。

あと、毛利家はむしろ大幅な領地削減のおかげで存続できたという意見もあるようです。
関ケ原で勝利して加増や領土の維持に成功した東軍大名は意外に後にお家騒動などで改易された例が多いですが、これは改革の機会を失ったという理由も大きいようです。
それに比べて関ヶ原の敗者となり大幅に減封された毛利家や上杉家は否応なく改革を迫られて、藩の近代化に成功し、それに比べて勝者である東軍大名は減封された敗者と違い改革の必然性が低く、お家騒動の原因を残してしまったというわけです。
実は毛利家にとって関ヶ原の敗北による大減封はむしろ幸運だったかもしれませんね。


次に吉川広家の項目についてです。
最近では広家の徳川と通じた行動は輝元の威光に従ったもので、そもそも独断専行ではなかったというのが有力のようです。
どうも輝元は、東軍主力が会津征伐を中止して引き返して岐阜城を攻略したことで弱気になったようです。
したがって関ヶ原の戦いで毛利軍が動かなかったのも輝元の意向に従っただけであり、秀元や恵瓊も同意していたというのが史実のようです。

また輝元はどうも西軍の総大将でありながら、事実上の第三勢力となることを考えていたようで、西軍との交渉役が恵瓊であり、東軍との交渉役が広家であって、広家も恵瓊もあくまでも輝元の意向の範囲内で行動していたようなのです。

あと吉川家の冷遇についてはどうも関ケ原とは関係なく、吉川家の毛利家における立場が原因であるようです。
元春の代に吉川家に養子の入った吉川家は毛利家の一門とはいえあくまでも庶流であり毛利の名を名乗ることのできない立場であり、輝元の元養子で輝元に長男が生まれるまで世継ぎとされていた秀元とはそもそも立場が違い、当時の慣例から考えると秀元が広家よりも優遇されるのは当然で、輝元からすれば吉川家を冷遇しているという意識すらなかったと思われます。

なお熊谷元直の粛清はどうも関ケ原の件よりも彼がキリシタンだったことが原因のようで、同時期に毛利家中で他にもキリシタン関係者が処分されているようです。
吉川家が関ヶ原の件で批判されたのは事実にしろ、親家康派が冷遇されたというのは後世生まれた誤解の可能性が高いというのが現在の主流の説のようです。
またそもそも広家は実は度々問題を起こすトラブルメーカーの面もあったという話もあり、輝元が嫌ったとしても無理がないかもしれません。

またそもそも一部の記録には南宮山の毛利勢の先鋒は安国寺恵瓊の部隊だったという記録もあるようで、そうなると毛利軍不戦を主導したのは安国寺恵瓊であり、吉川広家が親家康で毛利家を救ったという話自体が後世作られた創作エピソードだった可能性すらあります。
実際吉川広家が毛利家を救ったというエピソードの最初に確認できる出典は吉川家の記録ですから、自らの家の正当化のために積極的に嘘をついた可能性は十分にあります。

あと私はもしも南宮山の毛利勢が西軍に味方して東軍を攻撃したらどうなったかを考えたことがありますが、東軍は南宮山の毛利勢への備えとして池田輝政・浅野幸長の有力な二人の武将の合計一万を超える軍勢を配置していましたから南宮山の西軍が東軍に突撃したからと言って東軍が一気に総崩れになったかは疑問です。
現在の説では小早川秀秋の軍が戦闘開始と同時に西軍に攻撃を開始して、関ヶ原合戦が短期間に決着したと考えられていることを考慮すると、池田・浅野の軍勢に防がれている間に石田三成ら西軍主力を撃破した東軍主力に返す刀で撃滅させる可能性も高いのではないでしょうか。
ついでに言うと南宮山の西軍のうち長宗我部盛親は本来東軍に付くつもりが遅れてやむなく西軍に味方しただけで、どこまで戦意があったかは疑わしいです。
もしかしたら南宮山の毛利軍はそもそも密約とか関係なく動くに動けない状態だっただけなのかもしれませんね。



次に新コーナーの屈辱の退位のコーナーについてです。
私は天皇の退位制度は現代で言う内閣不信任決議のようなものだったのだろうと思います。
海外では君主が殺されたり、暗君や暴君が長期間在位して王朝滅亡の原因になったりした例がありますが、日本では天皇が討たれるような事例はほとんどありません。
これは天皇の退位制度のおかげで、天皇が討たれるといった最悪の事態が避けられたことが大きいのではと思います。

だから私は天皇の退位制度については基本的には悪い制度とは考えず、また退位させられた天皇には同情しますが退位させた権力者を必ずしも悪者とは考えません。
実際このコーナーで紹介されている天皇でも何人かは、あまり有能そうではない人物も何人かいますし。
例えば後水尾天皇もこのコーナーで指摘されているように、天皇という立場にもかかわらず遊郭に出入りするなど素行がよかったわけではありませんし。



次に新コーナーの信長の同盟者達のコーナーの徳川家康の項目についてです。
実は松平元康が古巣である岡崎城に戻ったのは、最近では最前線での防衛を理由とした今川氏真自身の指示によるもので、この時点では氏真の命令に従っただけだったというのが真相のようです。
また元康の正室・瀬名については元康と共に岡崎城に戻ったというのが有力だとされるようです。

清洲同盟について築山殿がどう考えていたについては、そもそも戦国の世において仇敵とも時に手を結ぶのは珍しい話ではなく、複雑な思いはあれど仕方ないことは理解していた可能性が高いとのことです。
また実父の関口親永が氏真から切腹を命ぜらたという話については、最近関口親永が切腹したとされる年代より数年後の親永の書状が発見されたためそもそも事実ではないことが判明しています。
また今川氏真自身が織田信長と協調しているのに築山殿が同盟に反発するのは、そもそも今川本家をないがしろにする行為ともいえありえないといえます。

徳川信康の切腹については徳川家臣の一部が信康を旗印に武田家に内通しようとして、それに築山殿が加担したのが原因とするのが有力のようです。
謀反の原因としては、長篠の戦い以降も武田家の攻撃は激しかったことが原因のようです。
天目山の戦い直前に武田勝頼は北条領に攻撃を仕掛けていますがこれは武田方が優勢で、後の展開を知らない当時の人からすれば織田より武田の方が優勢ではないかと考える者がいても不思議ではなかったからのようです。
これも後の歴史を知っているからこそかえって思いつかないことかもしれませんね。


次に浅井長政の項目についてです。
実は義昭が諸国の大名に御内書を送った理由は信長包囲網を形成するためではなく、協力者を増やしたかっただけのようです。
つまり信長だけに頼ることが危険だと考えただけで、信長を打倒する意思はこの時点だはなかったようです。

そもそも信長と義昭の関係は現代で言うと連立与党に近く、例えば長年連立している自民党と公明党だって政策面で対立したからと言って連立解消するわけではないのと同じで、信長と義昭も政策面で対立したからと言ってそれが即信長打倒につながると考えるのが間違いというわけです。
このあたり後の義昭追放から逆算した誤りといえます。


次に毛利輝元の項目についてです。
実は義昭の兄・義輝は毛利家の仇敵である尼子家に守護代の役職に任命したことなどで不満を持っていたこともあり義昭にも必ずしも好意的ではなく、義昭の受け入れに慎重だったのもこれも理由だったようです。
また信長が浦上宗景や但馬山名氏を支援した理由はどうも毛利家に対抗するためというより、単に信長が中国地方の情勢に疎く無神経な対応をしてしまっただけであるようです。
信長の欠点としてはこういう外交上のやらかしが多いことがあるようです。

まあ弁護するなら現代の情報化社会ならともかく、あの当時では仕方ない事でもあったのかもしれません。
現に武田信玄も冬になると雪で本国との連絡路が絶たれる朝倉の事情を知りませんでしたし、彼がこういう失敗があまりなかったのは単に信長ほどの急速な勢力拡大をしなかっただけとも言えるかもしれませんが。



次に「大敗」を検証のコーナーの月山富田城の戦いの項目についての続きです。
大内義隆は実は反大内勢力を次々と撃破し、大寧寺の変の直前には周防大内氏の最大版図を実現しています。
そもそも文弱とか公家の真似事などの彼に対するよくある批判は、わかりやすい例だとかつての今川義元などにもいわれていた結果的に御家を滅ぼしてしまった当主に対するレッテルの定番であるため、大内義隆に限らずこういう批判はあまり信用しない方がよいともいえます。

また彼の官位については、兵部卿は日明貿易で中国側に大内家が日本の代表であることをアピールするために必要とされたものであり、太宰大弐は九州で敵対していた太宰少弐を自称する少弐氏の大義名分を無くすためであり、どちらもある程度の実利を求めてのものであり、織田信秀や徳川家康などが三河守に任官されたのと大して変わりません。

また義隆が文治派重臣を重用したのは腑抜けたからではなく、当主権限の強化が目的だったと現在では考えられているようです。
そもそも陶隆房等の武断派重臣は同時に守護代として場合によっては当主の権力を脅かす存在でもあります。
つまり当主の権力強化を図る義隆と、それに反発する守護代たちという構図だったようです。
しかしこれだけでは武田信玄の父と同じで義隆を引退に追い込むだけで十分なわけで、大寧寺の変のように当主と世継ぎを共に殺害する理由には弱いため、大寧寺の変の原因の一つではあっても主要な原因とはいいがたいわけで

大寧寺の変の原因としては怨恨説もあるようです。
文明14年(1482年)に、隆房の祖父の陶弘護が吉見正頼の伯父の吉見信頼に討たれた事件があり、この事件の背景として応仁の乱で出陣中に留守を守って国政を握った弘護の排除を大内政弘が画策した可能性が指摘されていて、実際犯人である吉見信頼はその場で討たれたものの、遺族は赦免されたうえに後に優遇されました。

また長門国守護代の内藤興盛も、伯父の内藤弘矩とその子弘和が共に大内義興に誅されています。
これにより大内家の重臣である陶・内藤両家が弱体化したために大内義興・大内義隆の二代は当主が主導権を握ることができたのですがこの一件は両家に遺恨を残し最終的に大寧寺の変という形で爆発したというのが怨恨説の概要です。

ただこの怨恨説には弱点もあり、長門国守護代の内藤興盛が変に加担した理由としては有力視されるものの、本来は問田家の出身であり、陶家の養子である陶晴賢がこの事件を遺恨に思っていたのかは疑問が残り、結局変の首謀者である陶晴賢の謀反の動機を説明するには弱く、そもそも数十年も前の話をいまさらとも言えますから結局これも大寧寺の変の原因の一つではあっても主要な原因とはいいがたく、大寧寺の変の原因は研究者によって意見が分かれていて不明なわけです。
本能寺の変が明智光秀の単独犯行説で固まりつつある今、戦国時代最大のミステリーは大寧寺の変かもしれませんね。


次に関ヶ原の戦いの項目についての続きです。
最近はどうも小山軍議自他が実際にあったかを疑う説も出てきたため、この辺りの通説もかなり怪しいようです。
また東軍諸大名が三成を討つべきだと主張したのは上杉討伐が言いがかりだったというより、単に上方を制圧した三成を討たないとまずいという状況判断と考えるのが妥当ではないでしょうか?
そもそも武断派が家康に従っている理由は、上杉や毛利と手を結んでいる三成ら奉行衆に対抗するのに家康の力が必要だからであり、上杉討伐が成功すれば三成派の力が低下するため、武断派にもメリットはあります。

また会津征伐の中止が福島正則ら武断派の反対によるものという話は伊達政宗が会津征伐の中止に抗議してきた手紙に弁明として家康が送った手紙にある話であり、これは会津征伐中止の責任を福島正則ら武断派に押し付ける目的があると考えるのが妥当であり、必ずしも無条件で信用していいかも疑問があるようです。
従った上杉征伐に諸大名の多くがが反対していたという話はやはりかなり怪しいと言えます。


次に胡亥と悪宦官・趙高についての続きです。
始皇帝が正常ならば胡亥が12~15歳で後継者に選ぶことはないでしょうが、秀吉の晩年みたいに暴走していたならあり得るのではないでしょうか。
実際始皇帝の晩年はかなり批判されるような行動も多いですし、衰えも感じられなくもないです。
従って胡亥が12~15歳で後継者に選ばれたという可能性は十分ありえると思います。

また辺境の守りを命じられた扶蘇の待遇は後継者ではない皇子に多い待遇です。
胡亥が始皇帝の旅に同行が命じられたのは一般的に後継者であることを印象付けるためであることが多く、本来普通に考えれば扶蘇は後継者ではなく胡亥が後継者であると考える方が自然なんですよね。
またそもそも始皇帝には20人近くの男子がいたそうなので、例え胡亥が後継者ではなかったとしても、別に扶蘇が後継者である必要はないんですよね。
したがって扶蘇が後継者だったという話はかなり怪しいと言えます。

あと李斯の評価については、そもそも秦王朝が崩壊した原因の各地の反乱は宮殿と始皇帝陵墓の建設の負担が大きすぎたことですが、これはそもそも始皇帝の時代からの継続で始皇帝の代からの丞相である李斯にも当然責任はあるはずです。
また焚書坑儒などの始皇帝晩年の評判の悪い政策もいくつかはそもそも李斯の発案という話もあります。
こう考えると李斯は功績も確かに大きいものの、滅亡の要因の一つでないとは言えないかもしれません。


次に戦国の鬼達のコーナーの柴田勝家の項目についての続きです。
勝家が秀吉と仲が悪かったかというと私の知る限り同時代の確かな話で秀吉との不仲を示す話を見たことがないのでかなり怪しい気がします。
むしろ本能寺の変の後に秀吉が勝家を討った歴史的事実から逆算して、江戸時代の軍記物で創作された話という感じがするんですよね。


さて今回はこれまで。
更新を楽しみにしています。
それではまた。

No.391 2024/11/18(Mon) 23:32:49

Re: このサイトの戦国房についての感想6 / 薩摩守
> こんにちは、お久しぶりのベルトランです。
> また丁寧に返事をいただきありがとうございます。
> また記事の内容に対する反論も多くありますがご了承ください。

 お久し振りです!例によって、反論は「望むところ」です(笑)。
 豊富な分量、数々の拙作に対する言及、共に嬉しく思います。ただ、一気に返信するのは読み辛くなるので、分けさせて頂きます。同時に貴原文を少しカットしますので、悪しからずご了承願います。


>
> まず新コーナーの末弟考察のコーナーについてです。
> 私の末弟についてのイメージは末弟本人より、(以下略)

 私も父親の影響する面が大きいと思います。溺愛であれ、冷遇であれ、幼少時は親の用意した環境に依存せざるを得ませんので。
 一方で、幼児死亡率や、養子行きが多い時代だった故、どこまで「末弟」という存在をしっかり見据えられたかに関しては反省が残っています。

>
> 次に新コーナーの帰ってきた「菜根版名誉挽回してみませんか?」のコーナーの不肖御曹司編の項目についてです。
> ただ伊周さん、本職はあくまでも現代で言えば政治家か官僚なんですから、肝心の政務で結果を出せなければいくら文才があってもフォローにはならない気が私はするんですよね(以下略)。

 ああ、政治家としての伊周をフォローする気はありません。過去作でも今川氏真の名誉挽回にかなり力を入れましたが、少なくとも戦国武将としての彼は今も酷評対象です。
 伊周(及び道隆ファミリー)に関しては、家族愛が強かったことのべて、政治家として酷評される彼にも素晴らしい一面があるのを述べたかった次第です。

>
あと藤原隆家に関して言えばこの時代は刀伊の入寇以外には大きな戦乱がなく、彼の武人としての才能を生かす機会が少なかったのも彼が正当に評価されなかった原因のように思います(以下略)。
 刀伊の入寇が余り有名でないのも隆家の悲劇と思っています。摂関家が絶頂を極めたこの時代、武士は思い切り蔑視されており、刀伊の入寇に際して隆家は戦場でも追撃でも見事な判断を下したのに、朝廷ではこれを褒めるどころか、どう罰しようかと検討したと云われ、知らず知らずの内に立ち消えになりました。
 この事件がもっと注目され、詳細に検証されていれば、称賛にせよ、酷評にせよ、伊周・隆家兄弟の実像はもっと詳らかになっていたのではないかと思われます。


>次に高師直の項目についてです。
>師直の悪評はだいたい太平記などが出典であんまり信用できないんですよね。

 私もそう思います(苦笑)。『太平記』も、『平家物語』も、『絵本太閤記』も歴史に親しみ、学び始めるには絶好の書なのですが、人気あり過ぎる故に実像を歪める影響が馬鹿にならないんですよね。
 師直に限らず、高一族には、「主家である足利家あっての我が一族」という自覚はあったと思います。それゆえ師直・師泰兄弟はあれだけ有能でありながら、呆気ない最期を遂げたとも。


>次に楠木正儀の項目についてです。
>私としては現代では南北朝時代に詳しい人でなければ、そもそも正儀のことを知らないような気もします。

 実はリクエストを頂き、調べるまで私もほとんど知りませんでした(苦笑)。

>現代では皇国史観の人は多くないですし、彼を知っている人なら彼のおかれた事情についても知っている可能性が高そうなので、案外彼を変節漢扱いする人はあまりいないかもしれませんね。
 そうあって欲しいと思います。拙作でも書きましたが、現代に生きる我々は武士の忠義を江戸時代のそれで見がちです。室町時代の忠義は本当に難しいと思います、色々な意味で。


>次に足利直義の項目についてです。
>私は別の理由で「尊氏が直義に毒を盛った」という説には否定的です。
>確かに高兄弟が没っした丁度一年後に没っしたのは怪しいとはいえますが、逆にそんな怪しい日に毒を盛るか?とも思います(以下略)

 関係ありませんが、足利義政が死んだ丁度一年後に足利義視が死んでいます。こちらは然程騒がれていません(応仁の乱が終わって何年も経ち、義尚も既に死んでいたと云うのもありますが)。
 拙作でも書きましたが、尊氏も直義も好きな私としては、毒殺では無かったと思いますし、そうでなかったことを望んでいます。


>あと後醍醐天皇の建武の新政が武士達を冷遇したというのはいまでは否定されています。
>後醍醐天皇は幕府は否定しましたが武士自体はむしろ厚遇しており、武士の不満は恩賞問題や領地問題で混乱を生じたことが大きかったようです。
>ただこの辺りは室町幕府でも観応の擾乱のような大きな騒動になっていますからこの時代解決困難な問題であったともいえます(以下略)。

 うーんこれはどうでしょう。少なくとも後醍醐天皇に政権を武士に返すものかという意志が強かったのは間違いないでしょうから、後醍醐天皇の意志がどうあれ、私は彼は武士を冷遇したと思いますし、そうせざるを得なかったと思います。
 自分の皇子を征夷大将軍に任じていますし、中先代の乱なんかもありましたから、武士の重要性を感じていなかったとは思いませんが。
 いずれにせよ、手柄ある武士に充分に報いなかったから、室町幕府が生まれたと思っています。

>後醍醐天皇の時代、鎌倉幕府は将軍が傀儡で、執権も傀儡で、得宗も傀儡で、北条家の家臣である御内人が実権を握るというややこしい体制で、これが鎌倉時代末期の混乱を解決できなかった大きな原因だと考えられたことも後醍醐天皇が天皇中心の政治を目指した理由で、後醍醐天皇が「俺様がナンバーワン」でなければ気の済まない性格だったからというわけではないようです(以下略)。
 鎌倉幕府が末期症状だったと云うのは私もそう思います。
 恐らく後醍醐天皇が現れずとも、鎌倉幕府が倒れるか、北条得宗家が滅びるかは歴史の必然だったでしょう。
 後醍醐天皇に関しては過去作で少ししか触れていませんが、個人的に織田信長・源頼朝に並んで尋常じゃない嫌い方をしている人物なので、一応、その点を差っ引いで拙文をお読みいただければと思います(苦笑)。

>次に足利義詮の項目についてです。
>この人はやはり影が薄いですよね。
>寿命の短さも大きな要因でしょうが江戸幕府の二代将軍秀忠も影がやや薄いので、二代目のトップってそういう例が多いのかもしれませんね。

 寿命に関しては私も触れました。ただでさえ初代を上回ることが困難な二代目が僅かの出番で終わったのでは有利になり様がないです(泣笑)。

>次に朝倉義景の項目についてです。
>義景は前も言いましたが、加賀一向一揆が背後にいたのと本国越前が雪国で冬になったら撤退しなければならない不利を解決できなかったのが大きいですよね(以下略)。

 確かに雪の影響は大きいですね。それがどれほどのものだったのか?恐らく謙信に対するそれほどには検証されていないと思います。

>次に斎藤義龍の項目についてです。
>彼は最近ではむしろ親を討った事よりも当主としての治世に疑問が投げかけられているようです(以下略)。

 短命が悪評を避けることもあるとは、興味深い視点ですね。


>次に毛利輝元の項目についてです。
>最近では輝元はむしろ自ら積極的に西軍を主導し、関ヶ原の戦いの敗戦後に安国寺恵瓊や石田三成に責任を押し付けて自らは責任を逃れたというのが有力になっているようです(以下略)。

 島津義弘や小早川秀秋の様に、家康に合力したかったのに置かれた状況やその変化からなし崩し的に西軍につかざるを得なかった者も多かった訳ですが、毛利家もそんな一面があったという事でしょうか?
 確かに輝元が密かに二股膏薬を掛けていた可能性はありますが、そうなると何故に安国寺恵瓊だけが斬首という酷刑になったのか疑問が残ります。

>次に吉川広家の項目についてです。
>最近では広家の徳川と通じた行動は輝元の威光に従ったもので、そもそも独断専行ではなかったというのが有力のようです(以下略)。

 毛利家の歴史を詳細に調べるには、元就時代以前に遡って吉川家や小早川家との関係もよくよく調べる必要がありそうですね。

 一先ずここまで。
 残りは近日中に返信します。

No.392 2024/11/21(Thu) 10:00:58

Re: このサイトの戦国房についての感想6 / 薩摩守
 続きですが、セキュリティに掛かってしまい、為せずにいます。場合によってはスレッドを変えてさせていただきたいと思います。
 悪しからずご了承願います。

No.393 2024/11/26(Tue) 14:18:44
菜根道場5・10日雑文 / ダンエモン
 御来房の皆様、こんばんは。
 毎月15日の担当、楽曲房ダンエモンです。

 今回の話題は少し愚痴っぽくなります。
 それは、代表曲について。

 アーティストにとって、代表曲が大切な作品にして、代名詞にして、重要なステータスであることは誰の目にも明らかでしょう。
 摩季ネェ自身、その時の新曲が注目されて欲しいのに、ヒット曲への話題の方が多いことに苦悩されたことがあるのをある番組で語っていましたが、それでもやはりヒット曲があって今があることを認識している旨も話していました。

 ただ、ダンエモンが不満に思うのは歌番組に対してです。
 殊に、一つの番組に何十人ものアーティストが出て来る番組では、あるアーティストと歌う曲を見る度に、

 「他に紹介する曲は無いんか?」

 と云いたくなることが頻繁です。

 ケーブルTVの番組表で拙房で応援しているアーティスト以外にも、何人かのアーティストの名をキーワードとして登録し、出演する番組をチェックするのですが、特別ゲストとして招かれるのならともかく、一人一曲で多数登場する場合、多くのアーティストは定番過ぎる程、定番曲が流されます。

 問題提起の都合上、止む無く名前を出しますが、真夜さんの曲は殆んどが「TOMMOROW」です。
 たまに「ALONE」や、その時の新曲も出ますが、それは真夜さんを主役級の特別ゲストとした場合で、一曲しか出ない場合はまず「TOMMOROW」です。

 そりゃ、「そのアーティストして誰もが知っている曲」を列記した方が親しまれ易い=視聴率を上げ易い、という制作者サイドの考えも分からないでもありません。

 誰しもが知る名曲の紹介も悪くは無いのですが、「そればっか。」というのにはさすがに辟易しています。
 「ファン以外には知られていないが、実は隠れた名曲」を紹介するような歌番組あっても、と思うのですが、閲覧者の皆々様のご意見は如何でしょうか?

No.390 2024/11/16(Sat) 21:50:19

Re: 菜根道場5・10日雑文 / ネコワシ
こんばんは、はい、岡本真夜さんの代表曲は、まあここに書くまでもないですね。

こちらの歌が、イヌワシのように鳥のように大ヒットを飛ばした時代を生まれ出いない方でも知っていますね。 

大黒摩季さんの代表曲もここに書くまでもないと思います。 
こちらもイヌワシのように鳥のように大ヒットを飛ばしました。

まあ、昭和、平成の名曲など番組ですと、どうしても代表曲一曲になる場合が多いですね。

ちなみに、太田裕美さんですが、彼女の代表曲は、こちらもイヌワシのように鳥のように大ヒットを飛ばした「木綿のハンカチーフ」ですが、ほかにも、赤いハイヒール、最後の一葉、しあわせ未満、九月の雨という歌が、オリコンでベスト10に入るヒットゆ記録し、それ以外でも、スマッシュヒットを含めればたくさんのヒット曲がありますが、やはり木綿のハンカチーフだけ歌ってほしいとの依頼が多く、一時は木綿だけではちょっとと辞退していたこともありましたね。

わたしは、O・ヘンリー氏の詩集から取った、最後の一葉、とても素敵な歌だと思いますが、太田さんのコンサートでも一度も聴いたことがありません。

どなたかカバーしていただけないかな?と思います。

でも、代表曲があるということは、すくなくとも、数曲以上のヒット曲があるということなので、まあよかったのではないかと思います。

歌手になるのも大変ですし、仮にデビューしても、一曲もヒット曲が出せずに、ひっそりと引退してしまう方も多いです。

またいつもの話題ですが、Y社のコンテストで優勝して、飛んで飛んでという歌を歌って、イヌワシのように鳥のように大ヒットを飛ばしても、その後は、ネコワシのように急に失速してしまったM氏のように、俗にいう一発屋も多いですし。

まあ、それでも一曲でもヒット曲があるのは幸せだと思います。

まあ、わたしも一発屋のサイトをみることがありますが、一発屋とされていても、実際にはスマッシュヒットなどを記録している方もいますので、完全な一発屋とは違う方もいらっしゃいますね。

わたしは、どうしても究極の一発屋は、歌詞の内容からしても、M氏に軍配を上げていまいますね。

本当にネコワシのように、一曲で飛んで行きましたので。

最後に、いつもの工藤忠幸さんですが、工藤さんも、ヒット曲は、フォークデュオの、ふきのとうさんが歌った「白い冬」だけで、工藤さん自身もメジャーデビューしても、残念ながらネコワシのように失速してしまいましたが、現在73歳でも、高速バスやJRなどの普通列車を利用して、ギターやたくさんの荷物とともに全国ツアーをしています。

毎年12/12は。工藤さんのバースデーライブ参加と決まっています。
わたしが北海道に移住したときにも大変お世話になった、北海道、音楽、人生の大先輩です。

このところ訃報ばかりで参っていましたが、工藤さんはバースデー迎えて74歳になりますが、いつまでもお元気で歌い続けて欲しいです。

No.403 2024/12/02(Mon) 21:19:28

Re: 菜根道場5・10日雑文 / ダンエモン
> こんばんは、はい、岡本真夜さんの代表曲は、まあここに書くまでもないですね。
>
> こちらの歌が、イヌワシのように鳥のように大ヒットを飛ばした時代を生まれ出いない方でも知っていますね。 
>
> 大黒摩季さんの代表曲もここに書くまでもないと思います。 
> こちらもイヌワシのように鳥のように大ヒットを飛ばしました。
>
> まあ、昭和、平成の名曲など番組ですと、どうしても代表曲一曲になる場合が多いですね。

 だからこそ、TV番組を制作する側には、ファン以外の人が知らないような、隠れた名曲を紹介して欲しいと思うのです。

>
> ちなみに、太田裕美さんですが、彼女の代表曲は、こちらもイヌワシのように鳥のように大ヒットを飛ばした「木綿のハンカチーフ」ですが、ほかにも、赤いハイヒール、最後の一葉、しあわせ未満、九月の雨という歌が、オリコンでベスト10に入るヒットゆ記録し、それ以外でも、スマッシュヒットを含めればたくさんのヒット曲がありますが、やはり木綿のハンカチーフだけ歌ってほしいとの依頼が多く、一時は木綿だけではちょっとと辞退していたこともありましたね。

 分かります。正直、私も太田さんの歌は「木綿のハンカチーフ」しか知りません。だから猫さんが挙げた様な歌をTV番組で上げて欲しい訳です。

>
> わたしは、O・ヘンリー氏の詩集から取った、最後の一葉、とても素敵な歌だと思いますが、太田さんのコンサートでも一度も聴いたことがありません。
>
> どなたかカバーしていただけないかな?と思います。
>
> でも、代表曲があるということは、すくなくとも、数曲以上のヒット曲があるということなので、まあよかったのではないかと思います。

 根強いファンはいますけどね。どなたにも。でなければ数年もせずして廃業していると思いますので。

>
> 歌手になるのも大変ですし、仮にデビューしても、一曲もヒット曲が出せずに、ひっそりと引退してしまう方も多いです。

 時節に恵まれなかった方も多いと思います。

>
> またいつもの話題ですが、Y社のコンテストで優勝して、飛んで飛んでという歌を歌って、イヌワシのように鳥のように大ヒットを飛ばしても、その後は、ネコワシのように急に失速してしまったM氏のように、俗にいう一発屋も多いですし。
>
> まあ、それでも一曲でもヒット曲があるのは幸せだと思います。

 その「一曲でも」を当のM氏は気にされているのですが。

>
> まあ、わたしも一発屋のサイトをみることがありますが、一発屋とされていても、実際にはスマッシュヒットなどを記録している方もいますので、完全な一発屋とは違う方もいらっしゃいますね。
>
> わたしは、どうしても究極の一発屋は、歌詞の内容からしても、M氏に軍配を上げていまいますね。

 ジャンルによる印象と相違もあると思います。
 M氏は関西で大人気の某バラエティ番組のOP曲でも有名です。また一発屋と思われていた方がアニメソングでしっかり任期を再燃させていた例も数多くあります。

>
> 本当にネコワシのように、一曲で飛んで行きましたので。
>
> 最後に、いつもの工藤忠幸さんですが、工藤さんも、ヒット曲は、フォークデュオの、ふきのとうさんが歌った「白い冬」だけで、工藤さん自身もメジャーデビューしても、残念ながらネコワシのように失速してしまいましたが、現在73歳でも、高速バスやJRなどの普通列車を利用して、ギターやたくさんの荷物とともに全国ツアーをしています。
>
> 毎年12/12は。工藤さんのバースデーライブ参加と決まっています。
> わたしが北海道に移住したときにも大変お世話になった、北海道、音楽、人生の大先輩です。
>
> このところ訃報ばかりで参っていましたが、工藤さんはバースデー迎えて74歳になりますが、いつまでもお元気で歌い続けて欲しいです。

 恩人と思える方がその御年で現役で、且つ元気でいてくれることは有り難いですね。
 いついつまでも御元気であって欲しいものです。

No.406 2024/12/05(Thu) 16:07:44
菜根道場5・10日雑文 / シルバータイタン
 御来房の皆様、こんばんは。
 毎月10日の担当、特撮房シルバータイタンです。

 現在、制作中の『復讐を捨てるとき』ですが、ライダー特化、ウルトラマン特化にしなかったことで幅が広がり、調査や考察に時間が掛りそうですが、力作になるとの自負はあります。

 さて、今日の話題は「旧作の後日談」について。
 道場主はその昔、夏休みに仮面ライダー誕生20周年を記念して『仮面ライダー』傑作選が放映されたのをきっかけにライダー番組を録画する様になりました。
 時は流れ、今や、平成ライダーシリーズが生誕から20年を迎える作品が出て来て、先日ケーブルTVで『仮面ライダー555』の本編から20年後を描いた『仮面ライダー555 20th パラダイス・リゲインド』を視聴しました。
 10年前の『仮面ライダー鎧武』の劇場版で、「オルフェノクであるために10年生きられるか分からない」と云われた乾巧が登場し、本作で生死不明から始まりながらも多くの本編メンバーが再登場した嬉しい作品でした。
 まあ、中には作中で死亡したり、俳優が逝去していたり、引退していたり、で全メンバー登場が叶わなかったのは残念ですが、それは致し方ないでしょう。

 まだ未視聴の方の為にここでは本編に触れませんが、既に『龍騎』や『OOO』でも、本編の続編となる作品が作られ、色々と楽しみにしていますが、目下のお気に入りは漫画『風都探偵』で、連載も勿論、近日映画化されるビギンズ・ナイトの話も楽しみにしています。

 そしてチョット気になるのが、それ等の作品に出て来た性的なシーンです。子供番組では描かれないラブ・シーンですが、20周年記念となると、リアルタイムで見ていた世代も大人になっており、地上波ならともかくケーブルTVでは遠慮がないのかも知れません(笑)。
 さすがにリアルなヌードが出たりはしませんが、「パラダイス・リゲインド」でも、「やった後」と思しきシーンがあり、海堂が真理に巧とのそれを唆してもいました。
 『風都探偵』でもラブホテルと舞台に事前と事後のシーンがありました。
 『龍騎』の20周年記念作品では手塚海之と芝浦淳がベッドインしていた後のシーンもありましたが、こちらはシルバータイタンの趣味ではありません。

 一度、ライダー達のラブシーンを検証してみたい気もしますが、さすがにそうなると内容的には18禁になってしまいます。過去に、「小さい子供も見ているので特撮房での下ネタは控えて下さい。」とのメールを貰ったこともあるので、実際に制作するのは困難と思いますが、作品にするしないは別として、一度まとめた検証を行い、リクエストが多ければ作ってみたいと思います。

 まあ、多分、来ないでしょうけれど(苦笑)。

No.389 2024/11/15(Fri) 20:55:02

Re: 菜根道場5・10日雑文 / 仮面ライダースーパーニャン
こんばんは、道場主さまは、物語も書かれていますが、出版する予定はないのでしょうか?

わたしも、若い頃に、旅行作家になりたいと思ったことがありましたが、残念ながら、本を出版することはできませんでした。

今現在でも、地元で活動しているジャズミュージシャンなどが、おそらく自費出版に近い形かクラウドファンディングを利用してCDやDVDなどを発売していますが、完売まで持って行くのは大変そうです。

まあ、ライブの時に購入したりはしますし、サインも入れてもらえますので、今現在、CDプレーヤーの調子が悪いのですが、まあ記念としてですね。

まあプラトニックでも歳で精力がなくなっても、男なので、女性ミュージシャンから「いかがですか?」などとすすめられてしまうと、まあよかろうか、ではとなってしまいますね。

こちらにも、特撮に詳しい方がいらっしゃいますので、詳細は仮にBさんとさせていただきますが、そちらに譲りますが、まあ、わたしは仮面ライダーにしろウルトラマンにしろ、昭和の初期の時代の人間なので、仮面ライダースーパーニャンでは弱そうだなあ仮面ライダースーパー1は「♪仮面ライダースーパーワン」で始まるメロディーだけしかわかりません。あと仮面ライダー555も題名だけは知っています。

初期の仮面ライダーの本放送の時に、子供たちが、仮面ライダーの真似して、高いところから飛び降りたりすることが多発し、問題になったので、エンディング・テーマの時に仮面ライダーみずから、「ぼくのまねして高いところから飛び降りたりしないでね。約束だよ」言葉ははっきり覚えていませんが、そのようなお願いをしていました。

わたしも含め、正義のヒーローがあこがれでした。

まあ、現代では、性的表現以外でも、内容に問題があるという理由で放映ができない作品がジャンル問わず多いですね。

ただ、それをクリアすれば、素晴らしい作品がたくさんありますので、上手く編集したりで対応できればと思います。

どうしても対応できない場合は、「現代では不適切な部分がありますが」などとテロップを付ける方法もありますが、あきらかな差別表現などが多いと、そちらも難しいとは思います。

昭和初期の特撮技術は、ウルトラマンのチャックとビアノ線に代表されるような技術しかありませんでしたが、またその当時は白黒テレビが多く、解像度もカラーより悪いので、それほど気にならなかったのかもしれませんが、カラーテレビでは、チャックとピアノ線がバッチリ映っていますね。

わたし自体は、ウルトラマンに、チャックとピアノ線があっても、まあこんなものかですみましたが、道場主さまのようにがっかりした方が多かったのも頷けます。

No.402 2024/12/02(Mon) 20:16:13

Re: 菜根道場5・10日雑文 / シルバータイタン
> こんばんは、道場主さまは、物語も書かれていますが、出版する予定はないのでしょうか?
>
> わたしも、若い頃に、旅行作家になりたいと思ったことがありましたが、残念ながら、本を出版することはできませんでした。

 なかなか完成しませんので(苦笑)。

>
> 今現在でも、地元で活動しているジャズミュージシャンなどが、おそらく自費出版に近い形かクラウドファンディングを利用してCDやDVDなどを発売していますが、完売まで持って行くのは大変そうです。

 コケれば大赤字です(泣笑)。

>
> まあ、ライブの時に購入したりはしますし、サインも入れてもらえますので、今現在、CDプレーヤーの調子が悪いのですが、まあ記念としてですね。
>
> まあプラトニックでも歳で精力がなくなっても、男なので、女性ミュージシャンから「いかがですか?」などとすすめられてしまうと、まあよかろうか、ではとなってしまいますね。

 その点、うちの道場主は無駄に勢力があり余り………うぎゃああああああああああああああああ!!!!!(←道場主の血涙・海老反り責めを食らっている)

>
> こちらにも、特撮に詳しい方がいらっしゃいますので、詳細は仮にBさんとさせていただきますが、そちらに譲りますが、まあ、わたしは仮面ライダーにしろウルトラマンにしろ、昭和の初期の時代の人間なので、仮面ライダースーパーニャンでは弱そうだなあ仮面ライダースーパー1は「♪仮面ライダースーパーワン」で始まるメロディーだけしかわかりません。あと仮面ライダー555も題名だけは知っています。

 随分ピンポイントですね(笑)。

>
> 初期の仮面ライダーの本放送の時に、子供たちが、仮面ライダーの真似して、高いところから飛び降りたりすることが多発し、問題になったので、エンディング・テーマの時に仮面ライダーみずから、「ぼくのまねして高いところから飛び降りたりしないでね。約束だよ」言葉ははっきり覚えていませんが、そのようなお願いをしていました。

 本編でも死神博士が最後に登場した回で、ライダーキックが危険な技だと作中で説明していました。もっとも、ライダーキック時代はイカデビルに通じず、ライダーきりもみシュートで倒したのですが。

>
> わたしも含め、正義のヒーローがあこがれでした。
>
> まあ、現代では、性的表現以外でも、内容に問題があるという理由で放映ができない作品がジャンル問わず多いですね。
>
> ただ、それをクリアすれば、素晴らしい作品がたくさんありますので、上手く編集したりで対応できればと思います。
>
> どうしても対応できない場合は、「現代では不適切な部分がありますが」などとテロップを付ける方法もありますが、あきらかな差別表現などが多いと、そちらも難しいとは思います。

 ケーブルTVのファミリー劇場などではそうしていました。

>
> 昭和初期の特撮技術は、ウルトラマンのチャックとビアノ線に代表されるような技術しかありませんでしたが、またその当時は白黒テレビが多く、解像度もカラーより悪いので、それほど気にならなかったのかもしれませんが、カラーテレビでは、チャックとピアノ線がバッチリ映っていますね。

 時代劇などでも、かつらと地肌の境界が丸分かりになりましたね。

>わたし自体は、ウルトラマンに、チャックとピアノ線があっても、まあこんなものかですみましたが、道場主さまのようにがっかりした方が多かったのも頷けます。
 別にがっかりしていませんよ。逆にそこでがっかりした人は特撮から卒業するみたいですね。マニアになる人は、同じ人間であることに親しみを覚える人が多いようです。

No.405 2024/12/05(Thu) 15:58:06
菜根道場5・10日雑文 / 薩摩守
 御来房の皆様、こんばんは。 
 毎月五日の担当、戦国房薩摩守です。

 現在制作中の「信長の同盟者」達ですが、思っていたよりは制作が早く進み、改めて、戦国時代、それも三英傑に関することは持っている知識も多い分、早目に進むものだな、と感じています。
 ただ、信長と毛利輝元に関しては争い出してからのことはそれなりに知っているのですが、両者が友好的だった時期のことは疎いので、まだまだ調べることが多いので、コンプリートはもう少し時間が掛ると思います。

 さて、先日、京都は宇治にて大河ドラマ展、源氏物語ミュージアム、平等院鳳凰堂に行って来ました。
 大河ドラマ『光る君へ』が放映中という事もあるのですが、これまで歴史探訪は戦国時代関連が殆んどで、個人的に仕事でも、プライベートでも、ニュースを見ていても嫌なことが多く、気持ちが殺伐としていたことと、同ドラマを毎週見ている母が行ってみたいと云ったこともあり、行って来ました。

 主人公である紫式部の人生に謎(生没年、本名等)が多く、どうしても事績がはっきりしている藤原彰子に仕えた経緯や『源氏物語』関連がメインにはなりますが、いつも戦史メインに歴史を見がちだった傾向にチョットした変化をもたらせた気はしました。
 そう云いながら、平等院では、「ふーん、ここで源頼政は腹を切ったのか……。」などと思っていたりした訳ですが。

 名前の通り拙房は今後も戦史及びその関連人物考察がメインになりますが、人間の歴史は武器を持った戦いばかりが戦史ではありませんので、次回作以降、戦争ばかりに目をやりすが無いように展開してみたいと思います。

 ではまた来月。

No.388 2024/11/07(Thu) 21:08:50

Re: 菜根道場5・10日雑文 / 猫猫病院
こんにちは、わたしは、日本史は、江戸時代以後はまあ好きですが、それ以前はやや苦手です。

こちらでは、特に詳しいAさんに譲りたいと思います。

ただ、この時代の人の医療はどうされていたのか?と思います。

戦国時代、刺されても薬はあっても漢方薬だけで、漢方は、急性の病気にはあまり向いてはいないようです。
当時はもとより、本格的に医学が発展したのは20世紀、日本では戦後ですので、それまでは、現代では怪我、病気などでも命を落としていました。

わたしが風邪をひいたとき、症状が軽い場合は葛根湯などで様子みますが、重くなった場合は、病院に行って薬をもらいます。

わたしは、若いころからびよういんより病院のほうがご縁が深いので、少なくとも戦国時代や戦前より前に生まれていたら、60歳まで生きるのは難しかったかなあと思います。

No.395 2024/11/30(Sat) 14:13:36

Re: 菜根道場5・10日雑文 / 薩摩守
> こんにちは、わたしは、日本史は、江戸時代以後はまあ好きですが、それ以前はやや苦手です。
 私も、一応日本史全般、それなりに詳しい方だと自認していますが、専門の学者は勿論、史学を専攻している大学生や、日本史を受験科目に選んでいる高校生にも及ばないと思います。
 戦国時代に関してはそこそこ詳しいかもしれませんが、それもポイント、ポイントですね。道場主同様、「狭く深く」の人間なので。

>
> こちらでは、特に詳しいAさんに譲りたいと思います。
>
> ただ、この時代の人の医療はどうされていたのか?と思います。
>
> 戦国時代、刺されても薬はあっても漢方薬だけで、漢方は、急性の病気にはあまり向いてはいないようです。
> 当時はもとより、本格的に医学が発展したのは20世紀、日本では戦後ですので、それまでは、現代では怪我、病気などでも命を落としていました。

 節目となる時期はありましたよ。
 平安時代中期、重い病気にかかり、医師の手に負えない際権力者は宋の名医に頼りました。
 『平家物語』では、重病に陥った平重盛の身を案じて、父の清盛がそうの名医を呼び寄せましたが、重盛自身が「異国の名医の手で治ったら、我が本朝に医師がいないのか、と恥になる。」として、宋の名医に治療を受けたのと同じ代金を払って帰らせたというくだりがあります。

 江戸時代なら蘭方医が最先端の医学であったことは御存知かと思います。
 明治維新に際しては、文明開化時に日本が医学をドイツに学びました。「カルテ」、「クランケ」と云った言葉はドイツ語由来で、二昔前の病院ではカルテをドイツ語で書いていたそうです。

>
> わたしが風邪をひいたとき、症状が軽い場合は葛根湯などで様子みますが、重くなった場合は、病院に行って薬をもらいます。

 道場主も軽い風邪なら暖かくして、寝て直します。それに託けて温かい水(早い話酒)を飲むことも多いのですが(苦笑)。

>
> わたしは、若いころからびよういんより病院のほうがご縁が深いので、少なくとも戦国時代や戦前より前に生まれていたら、60歳まで生きるのは難しかったかなあと思います。

 道場主は過去に蜂窩織炎になったことがあります。これは抗生物質が無いと治らないので、近代以前なら道場主は四〇にならずして世を去っていました。

 お互い、健康で今年を乗り越えましょう。

No.407 2024/12/05(Thu) 18:59:53
菜根道場5・10日雑文 / 道場主
 御来房の皆様、こんばんは。
 毎月25日の担当、菜根道場道場主・菜根道人です。

 今年も早いもので残すところ後二ヶ月チョットとなりました。なかなかに世の中にすっきりしないニュースが多い中、良くなるのか悪くなるのかも見えず、物価高だけがはっきり見えている嫌な情勢ですが、だからこそささやかでも日々の楽しみを重視したいと思っていますし、その為にも日々の勤労を一生懸命取り組まなくては、とも思います。

 では例によって分身達の動向をば。

戦国房薩摩守
 「屈辱の退位」をコンプリートさせ、新作「信長の同盟者達」をアップし始めました。
 普段、薩摩守は信長嫌いを公言しつつ、信長の偉大さは認めずにはいられないとも思っていますので、信長と同盟者が微妙な距離感でどう付き合っていたかの検証を楽しみつつ制作しています。

特撮房シルバータイタン
 こちらも「根っからの悪党ども」をコンプリートし、新作「復讐を捨てるとき」のアップを始めました。
 タイトルから想像つくと思いますが、はっきり云って暗い作品です。また、採り上げた対象も多いため、年内のコンプリートは無いと思っていますので、ゆるゆる制作してくことを御了承頂くとともに、機嫌の悪い時には閲覧されないことをお勧めします。

楽曲房ダンエモン
 摩季ソングの解説アップを少しずつではありますが進めています。ライブの情報も少しずつ入ってきていますが、距離・費用・スケジュールの合わないものが多く、仕事との関係からも年内は無理な参加はしないつもりなので、分身の中では当面大人しくしていると思います。

法倫房リトルボギー
 今月頭にアップを予定していた新作でしたが、諸事情あって来月頭になります。袴田巌さんの再審無罪確定を受け、その結果を良いものとしつつも、事件を巡る様々な世論に憤りを度々抱いていますので、来月の雑文でその辺りに関する暴論(?)が展開されると思います。

 ではまた来月。

No.383 2024/10/31(Thu) 00:02:05

Re: 菜根道場5・10日雑文 / ネコワシ
こんばんは、11月にはいりました。
本当に物価高にはまいっています。
きのうまで〇円だったのが、今日になったら値上がりしていたなんてしょっちゅうありますよ。↑
あとは、内容量を減らして価格を維持させるステルス値上げなど。
まだフルに近く仕事しているし、少ないけど年金もあるので何とかなっていますが、老後が心配です。

まあ、わたしとしては、生活のためにも健康のためにも、仕事は続けたいです。

まあ、高齢になれば、フルではなく、パート的な勤務にはなると思いますが、やはり年金だけでは厳しいです。

さて、わたしのほうですが、3日から1週間ほど東京に帰ります。

やはり北海道から東京までは飛行機利用になりますが、やはりリーズナブルに帰りたいですが、ネコワシのような不安定な飛行機には乗りたくないなあイヌワシのように鳥のように安定した飛行機に乗りたいので、ANA、JAL、エアドゥ、スカイマークの中で選んでいますが、早割でも以前より値段が上がっていますね。

格安航空会社では何かと制限が多いし、ネコワシのような不安定な飛行機になっても困るし、札幌からでは東京国際空港(羽田)ではなく、成田国際空港便しかないし、利用したことはありません。

毎年、この時期に、東京でお世話になっていた労働組合のイベントがあるので、この時期に帰るのと、あとは数回は帰ります。
東京の実家にも寄ります。父は亡くなりましたが、母はおかげさまで元気です。

もっと頻繁に帰りたいですが、旅費もかかるし、実家だけでなく、ホテルなどにも宿泊しますし、ま、こちらは、簡易ホテルやゲストハウス、ユースホステルなどを利用して、リーズナブルにしています。

前にも書きましたが、わたしも道場主さまと同じように分身が欲しいです。

いつものことですが、ライブのダブル・トリプルブッキングがよく発生するので、分身がいると助かります。

定年になったので、大阪に行こうと思っていますが、今年は無理そうなので、来年には行こうと思っています。

No.385 2024/11/01(Fri) 18:27:52

Re: 菜根道場5・10日雑文 / 道場主
> こんばんは、11月にはいりました。
> 本当に物価高にはまいっています。
> きのうまで〇円だったのが、今日になったら値上がりしていたなんてしょっちゅうありますよ。↑
> あとは、内容量を減らして価格を維持させるステルス値上げなど。
> まだフルに近く仕事しているし、少ないけど年金もあるので何とかなっていますが、老後が心配です。

 大金貯めても、第一次世界大戦直後のドイツや、ジンバブエの様なとんでもないインフレが来たらと思うと、多少の貯えも安心出来ませんね。

>
> まあ、わたしとしては、生活のためにも健康のためにも、仕事は続けたいです。
>
> まあ、高齢になれば、フルではなく、パート的な勤務にはなると思いますが、やはり年金だけでは厳しいです。

 食べていくだけなら年金だけでもなんとかなりますが、楽しみを持とうとしたら、やはり多少なりとも働かなくてはと思います。

>
> さて、わたしのほうですが、3日から1週間ほど東京に帰ります。
>
> やはり北海道から東京までは飛行機利用になりますが、やはりリーズナブルに帰りたいですが、ネコワシのような不安定な飛行機には乗りたくないなあイヌワシのように鳥のように安定した飛行機に乗りたいので、ANA、JAL、エアドゥ、スカイマークの中で選んでいますが、早割でも以前より値段が上がっていますね。

 以前、摩季ネェが北海道に帰省する折、交通費節約の為に新潟経由でフェリーを使ったところ、丸二日かかったそうです。
 ちなみに東京に住んでいた頃、長崎ハウステンボスで行われたカウントダウンに参加する為に青春18きっぷで往復したところ、丸四日費やし、真冬に二回野宿しました(苦笑)。

>
> 格安航空会社では何かと制限が多いし、ネコワシのような不安定な飛行機になっても困るし、札幌からでは東京国際空港(羽田)ではなく、成田国際空港便しかないし、利用したことはありません。

 大阪で見ても、関空は洋上で、南部の為、伊丹空港の方が近いのですが、便の種類が少なく、格安航空便も発着していません(苦笑)。

>
> 毎年、この時期に、東京でお世話になっていた労働組合のイベントがあるので、この時期に帰るのと、あとは数回は帰ります。
> 東京の実家にも寄ります。父は亡くなりましたが、母はおかげさまで元気です。

 何よりです。私も父を亡くし、母が健在です。この冬で父が亡くなって10年になります。月並みですが、母には父の分まで長生きして欲しいですね。

>
> もっと頻繁に帰りたいですが、旅費もかかるし、実家だけでなく、ホテルなどにも宿泊しますし、ま、こちらは、簡易ホテルやゲストハウス、ユースホステルなどを利用して、リーズナブルにしています。

 実はこの20年でホテルに泊まったことが数える程しかありません。夜行バスによる車中泊が多く、ネットカフェで一晩過ごすことも多いのですが、過去には24時間営業のファミレスにも良く居座り、計算が狂って野宿したこともありました(苦笑)。

>
> 前にも書きましたが、わたしも道場主さまと同じように分身が欲しいです。
>
> いつものことですが、ライブのダブル・トリプルブッキングがよく発生するので、分身がいると助かります。
>
> 定年になったので、大阪に行こうと思っていますが、今年は無理そうなので、来年には行こうと思っています。

No.387 2024/11/04(Mon) 00:24:58
菜根道場5・10日雑文 / リトルボギー
 御来房の皆様、こんにちは。
 毎月20日の担当、法倫房リトルボギーです。
 えっ?いつもと態度が違う?まあそういう日もあります。

 テンションがいつもと違うのはとある有名俳優の訃報に接したからです。プライバシーに触れかねないので、ここからは実名を伏せた展開になることを御容赦願います。翌々文章を読めばある程度の予想はつくと思いますが。

 その俳優の名前、「○〇〇〇」は道場主の本名と同じもので、道場主にとって、生まれた初めて自分以外の「○〇〇〇」という名を知った人物でした(漢字表記は異なります)。
 その俳優は有名なドラマのレギュラーとして出演したいたことでその存在を知り、法倫房リトルボギーとしても、大好きな某刑事ドラマのレギュラーの一人だったので、めちゃくちゃ好きな俳優という訳でもなかったですが、長年(一方的に)親しみを覚えてきた方でもありました。

 ネットの世界でプライバシーを晒すのは危険なので、これまで道場主は自分の写真をアップする際もサングラスを掛けた写真家、目に黒線を入れた写真を用いてきましたし、本名についても道場全体を隅から隅まで見れば一部にヒントとなる表記もありますが、これからも伏せ続けます。

 しかしながら、サングラスや目線なんて、知人が見れば一発で分かります。名前の漢字を一文字出すだけでも分かる人には分かりますので、仮に「道場主の正体は●●●●●〇〇〇〇さんですね?」と記載されても一切答えませんのでご了承下さい。

 奥歯にものが挟まった云い方で申し訳ないですが、某刑事ドラマのレギュラー俳優も天寿とはいえ約半数が鬼籍に入っており、昨今の有名声優諸氏の相次ぐ逝去も相まって道場主はかなり凹んでいます。

 予定では袴田事件に関して様々なコメントをする予定でしたが、来月にずらします。
 まずは当たり前のことではありますが、袴田氏がようやくにしてではありますが無罪を勝ち取り、自由の身になられたこと、長年袴田氏を苦しめたことを県警が謝罪したことを良しとします(細かいことを云い出せば云いたいことは腐る程ありますが)。
 いずれ検察も謝罪するだろうと予測されていますが、そうあって欲しいと思います。

 何をどうしたところで袴田姉弟が失った六十年近い時を埋める術は無いでしょうけれど、それでも姉弟の残された人生が平穏で勝つ一日でも長いものであって欲しいと願われてなりません。

 ではまた来月。

No.382 2024/10/22(Tue) 18:36:10

Re: 菜根道場5・10日雑文 / 真言宗猫鳴派
こんにちは、オッスでは無いですね。

わたしは、今回亡くなられた俳優さんですが、もしかしたらこの方かな?と思われる方はいらっしゃいましたが、はっきりとはわかりませんでした。
プライバシーの関係で氏名を出せないようなので、わたしもこれ以上は控えさせていただきます。

まずは、こころより御冥福をお祈りいたします。南無大師遍照金剛、合掌。

まあ、わたしも詮索されるのは嫌ですね。特に病気をしてしまい、普段は下ネタばっかり言っているのに、本当はプラトニックてで、精力もあまりないわたしで、それでは上手く行かないのをわかっているのに、「結婚はいつなの?」これは本当に嫌でした。
現在ではハラスメントになるようですが、還暦を過ぎたのと、北海道の人は、あまり詮索しない人が多いので、いまでは言われなくはなりましたけど。何を言われるより一番嫌でしたね。

わたしもネットの世界は恐ろしいので、用心して利用しています。
変装しても、逆に余計わかりやすいとも聞いたことがあります。

本当に訃報ばっかりで悲しいですね。
特にわたしの思い出深い方や青春時代をいっしょに過ごした方などならよけい悲しいです。

北の国でも訃報が多く悲しいです。

袴田さん冤罪事件、警察は謝罪しましたが、袴田さんの人生は帰って来ません。

冤罪、それは恐ろしいです。

No.384 2024/11/01(Fri) 17:32:01

Re: 菜根道場5・10日雑文 / リトルボギー
> こんにちは、オッスでは無いですね。
>
> わたしは、今回亡くなられた俳優さんですが、もしかしたらこの方かな?と思われる方はいらっしゃいましたが、はっきりとはわかりませんでした。
> プライバシーの関係で氏名を出せないようなので、わたしもこれ以上は控えさせていただきます。

 少し落ち着いたからいつもの口調に戻らせてもらうぜ。
 猫さんは道場主の馬鹿の本名を知っているから、多分その予想は当たっていると思う。

>
> まずは、こころより御冥福をお祈りいたします。南無大師遍照金剛、合掌。

 そうですな。多くの人々がその逝去を惜しみ、悼み、御冥福をお祈りしている。

>
> まあ、わたしも詮索されるのは嫌ですね。特に病気をしてしまい、普段は下ネタばっかり言っているのに、本当はプラトニックてで、精力もあまりないわたしで、それでは上手く行かないのをわかっているのに、「結婚はいつなの?」これは本当に嫌でした。

 道場主の馬鹿は、思い切り肉食系で、性欲も人三倍強いから………いててててててててて(←道場主のクォーラル・スペシャル・ヌーヴォーを食らっている)………まあ、散々云われたよな。

> 現在ではハラスメントになるようですが、還暦を過ぎたのと、北海道の人は、あまり詮索しない人が多いので、いまでは言われなくはなりましたけど。何を言われるより一番嫌でしたね。
 確かにある程度の年齢を過ぎると云い辛くなるよな。
 道場主の馬鹿も最近は云われなくなった、特に身内からは。

>
> わたしもネットの世界は恐ろしいので、用心して利用しています。
> 変装しても、逆に余計わかりやすいとも聞いたことがあります。

 Youtubeもやってみたい気がするが、道場主の馬鹿は顔以上に声が特徴的だから、身元バレのリスクを考えると逡巡するものが有るな。

>
> 本当に訃報ばっかりで悲しいですね。
> 特にわたしの思い出深い方や青春時代をいっしょに過ごした方などならよけい悲しいです。
>
> 北の国でも訃報が多く悲しいです。

 ある意味、身内の訃報が少なくてホッとしているが、年齢や病状的に危ない身内が何人かいる。
 いずれは誰しもがこの世を去ることは理解しているが、その日が一日でも遅いことを願うばかりだな。

>
> 袴田さん冤罪事件、警察は謝罪しましたが、袴田さんの人生は帰って来ません。
>
> 冤罪、それは恐ろしいです。

 死刑廃止論者は冤罪を死刑廃止の有力な理由として声高に叫ぶが、懲役刑や罰金刑だからと云って有罪が許される訳じゃないからな。
 むしろ、死刑があることで冤罪に対して慎重になっていると俺は思うがな。

No.386 2024/11/04(Mon) 00:15:27
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