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オッス!毎月20日の担当、法倫房リトルボギーだ! 何?態度が悪い?まあそう固いことを云うな(お約束)。
今日話題にするのは、心身衰耗や心身衰弱と云った精神疾患に対する刑罰についてだ。
先日、北海道北広島市で生活困窮者向けのアパートの自室に火をつけ、管理人の男性と入居していた女性を殺害したとして起訴されていた70歳の被告に無罪判決が下された。 常々、精神的な疾患を理由とした無罪判決を初めとする極端が減刑や免罪には激しい非難が起きる。早い話、加害者の精神状態など、やられた方にしてみれば知ったこっちゃないからだ。 勿論、精神疾患に関する「罰しない。」、「減刑する」ということは法に明記されていることだから、如何に罪状が酷いからと云ってそれで法を無視するわけにはいかない。 ただ、この事件、検察側が「精神疾患の影響はあったものの、最終的な意思決定の自由は残っていた」と主張し、懲役30年を求刑(←さすがに死刑はおろか、無期懲役も難しいとおもったのだろう)したのに対し、弁護側は「犯行当時、幻覚・妄想などの激しい症状の圧倒的影響により心神喪失状態だった」として無罪を求めた。
よくある応酬だが、これに対して裁判長が弁護側の主張を全面的に支持しての無罪判決なら、この事件はかほどに大騒ぎされなかったと思う。 裁判長の論述は、「善悪を判断する能力や、自身をコントロールする能力が失われていた。心神耗弱とは言えず、心神喪失の疑いが残る。」として無罪とした。この「疑いが残る」が問題なのだ。
要するに曖昧なことではいかんと俺は云いたい。 これ程の甚大な被害に対して「無罪」と云うなら、責任能力を完全否定すべきだ。被害者側に「本当は責任能力があったのでは?」と思わせるようではただただ被害者を苦しめているとしか云いようがない。 本心は本人にしか分からんが、この無罪判決には被告本人が「おかしい、2人の命を奪っているんですよ」と云って泣き崩れとという。 現役の弁護士もこの曖昧さに「違和感を感じる。」としている者もいる。
詳しく話すと長くなるからこの辺で終えるが、何せ詳細の明らかならざることが世の人々の心に憤りややる方の無さをもたらしている。 例えば、精神疾患によって無罪となった者に対し、世の中は凶悪犯罪者が大手を振って世に出ることを憤るが、別に何事もなく世に出られる訳では無い。 多くは精神病院に収監され、治るまで出られない。そりゃそうだろう。精神に問題のある人を犯罪予備軍みたいに見るのは許されない差別だが、実際にその問題の為に人の命を奪うということをしでかしてしまった者はその要因となる病が治るまで世に放たれてはならない。 ただ、無罪となった者のその後が報じられないから、「罰せられることなく世に放たれた!」という誤った憤りが囁かれる。
精神に病を抱えつつも、法を犯すことなく立派に生きている人達が差別されることなく、公明正大に過ごせるためにも、精神疾患を理由に減免するならするでその実態及び、その後の処置は明らかにして世の誤解と偏見を取り除くべきだろう。
ではまた来月。
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No.587 2025/09/28(Sun) 14:05:44
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