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菜根道場BBS THE V
何でもお気軽に書いていってくださいね。
(No Subject) / 猫猫病院
こんばんは、日立グループのお膝元の事件ですが、最高裁判所は、上告を棄却しました。
極刑でない刑事事件や民事事件では、1、2審の判決が、最高裁判所で変更になったり破棄差戻しになる場合がありますが、極刑の場合はあまりないですね。

わたしもこの日立の事件の件で調べましたが、AIで、戦後の混乱期にあった超ミステリー事件の、福島県内の国鉄(現、JR)東北本線列車転覆事件で、機関車の乗務員3名が亡くなられた、いわゆる松川事件で、汽車転覆罪の冤罪により5名の方が極刑判決(1名は2審で無期刑)で最終的に最高裁判所で4名の方が最高裁判所で2審に破棄差戻しされた後、最終的には極刑を含むこの犯行に加担した罪でとされる20名全員が無罪が確定しています。(全員が極刑を含む実刑判決でした、有期刑の数名の方は2審で無罪)

検索したら、たまたまAI判定のが出て来て、松川事件についてはある程度はわかりますが、真相についてはさまざまな憶測があり、いまでも不明です。わたしもwikipediaに載っているような原因かもとは思いますが、う〜ん推理できません。

1、2審で極刑判決が出てしまうと、最高裁判所で破棄されたのはわたしが知る限りは松川事件くらいで、一応最終弁論が開かれてもセレモニー的なもので、判決が覆るのはないようですね。

AI判定では、日本最大の極刑冤罪事件と出ていましたが、犯行が確定していないので、本来の冤罪事件とはまた違うとは思います。

まあ、昨年の袴田さんを含めて5名の方が極刑確定から無罪になりました。

いま、わたしもYoutubeなどで、昔の事件の動画などを観ていますが、刑が関係なく冤罪ではないか?と思われるのがあります。
また、未解決事件になっていても、おおよその犯人の目星は付いていても、証拠不十分で立件できなかった事件もたくさんあります。

また、極刑が確定すると、極めて不健康な状態で拘置されているようで、冤罪の可能性が高い場合は、外の病院に入院させることもあるようですが、そうではない場合は施設内でとのことで、やはり限られたことしかしないようです。
 
今回の日立の事件でも、やはり命がかかっているので、精神的にも参ってしまい体調をくずすこともあると思います。

やはり、太陽の光を浴びることがほとんどないので、体調をくずすようです。

いわゆる拘禁症ですね。

いま現在、袴田さんの件もあり、世の中がこのような状態ですし、万国博覧会があるのでというのはあると思います。

わたしも定年になったからといって、このままではなく、新しいことも始めていますし、まあ直接的な関係はありますが、知識としてはいろいろと知っておきたいと思います。

まだいまの若い方には負けないという気持ちはあります。

物価高や混沌とした状態もずっと続くと思いますが、病院だけでなく、美容院にもご縁を持ちたいと思いますので、執行については、わたしがあれこれいう立場ではありませんが、わたしは鉄道だけでなく、広く浅くですが、いろいろなことを経験して来ましたので、これからもいろいろと経験したいと思います。

No.442 2025/02/22(Sat) 21:26:23

Re: / リトルボギー
> こんばんは、日立グループのお膝元の事件ですが、最高裁判所は、上告を棄却しました。
> 極刑でない刑事事件や民事事件では、1、2審の判決が、最高裁判所で変更になったり破棄差戻しになる場合がありますが、極刑の場合はあまりないですね。

 大概そうだよな。逆に「1審○刑、2審無期懲役刑に減刑」の場合は上告が棄却されることが本当に多い!正直、「裁判員裁判制度を舐めてんのか!?」と云いたくなる。酷い時は検察が諦めて上告自体を断念するもんなぁ………。

>
> わたしもこの日立の事件の件で調べましたが、AIで、戦後の混乱期にあった超ミステリー事件の、福島県内の国鉄(現、JR)東北本線列車転覆事件で、機関車の乗務員3名が亡くなられた、いわゆる松川事件で、汽車転覆罪の冤罪により5名の方が極刑判決(1名は2審で無期刑)で最終的に最高裁判所で4名の方が最高裁判所で2審に破棄差戻しされた後、最終的には極刑を含むこの犯行に加担した罪でとされる20名全員が無罪が確定しています。(全員が極刑を含む実刑判決でした、有期刑の数名の方は2審で無罪)
>
> 検索したら、たまたまAI判定のが出て来て、松川事件についてはある程度はわかりますが、真相についてはさまざまな憶測があり、いまでも不明です。わたしもwikipediaに載っているような原因かもとは思いますが、う〜ん推理できません。

 いまだに謎が多過ぎるもんな。恐らく日本がアメリカから真の意味で独立する日が来るまで詳細は明らかにならない(正確には明らかに出来ない)と思う。


>
> 1、2審で極刑判決が出てしまうと、最高裁判所で破棄されたのはわたしが知る限りは松川事件くらいで、一応最終弁論が開かれてもセレモニー的なもので、判決が覆るのはないようですね。

 確かに、光市母子○害事件等の僅かな例を除けば、○刑確定であれ、○刑回避であれ、二審判決段階でほぼ決まり、最高裁は追認に過ぎないと感じることが多い。
 まあ、判決に不服な方は、あるなら四審でも、五審でも粘るんだろうけれど。

>
> AI判定では、日本最大の極刑冤罪事件と出ていましたが、犯行が確定していないので、本来の冤罪事件とはまた違うとは思います。
>
> まあ、昨年の袴田さんを含めて5名の方が極刑確定から無罪になりました。

 無実の人々には申し訳ないが、その人が犯人だと思っている者達には冤罪事件にならんな。

>
> いま、わたしもYoutubeなどで、昔の事件の動画などを観ていますが、刑が関係なく冤罪ではないか?と思われるのがあります。
> また、未解決事件になっていても、おおよその犯人の目星は付いていても、証拠不十分で立件できなかった事件もたくさんあります。

 邪推だとは思うが、後者に関しては大きな力が働いているんだろうな。

>
> また、極刑が確定すると、極めて不健康な状態で拘置されているようで、冤罪の可能性が高い場合は、外の病院に入院させることもあるようですが、そうではない場合は施設内でとのことで、やはり限られたことしかしないようです。

 そんな区別があるなら、冤罪の可能性が高い案件では再審に応じれば良いのに……。

>  
> 今回の日立の事件でも、やはり命がかかっているので、精神的にも参ってしまい体調をくずすこともあると思います。
>
> やはり、太陽の光を浴びることがほとんどないので、体調をくずすようです。
>
> いわゆる拘禁症ですね。

 難しいな。人間には環境適応能力がある。宮崎勤など、ビデオを見たり、絵を描いたり、で悠々自適の生活だったと思う。何せ、執行直前の言葉が、「あのビデオ、まだ途中だったのになあ……。」だったからな。
 己が、人生を「途中」で終わらせた幼女達のことなど何一つ考えず、罪悪感もなかったのだろう。
 まあ、それ故図太く生きていたのかも知れんがな。

>
> いま現在、袴田さんの件もあり、世の中がこのような状態ですし、万国博覧会があるのでというのはあると思います。

 結局、非難の声が少ない時を狙っているんだよな。どーせ非難は必ずされるのだから、堂々と執行して、云うべき論も堂々と云えば良いと俺は思うのだがな。

>
> わたしも定年になったからといって、このままではなく、新しいことも始めていますし、まあ直接的な関係はありますが、知識としてはいろいろと知っておきたいと思います。
>
> まだいまの若い方には負けないという気持ちはあります。

 武勇に限界はあっても、知識は限界の無い戦闘力…………これは『天下無双ー江田島平八伝』に有った言葉だ(笑)。

>
> 物価高や混沌とした状態もずっと続くと思いますが、病院だけでなく、美容院にもご縁を持ちたいと思いますので、執行については、わたしがあれこれいう立場ではありませんが、わたしは鉄道だけでなく、広く浅くですが、いろいろなことを経験して来ましたので、これからもいろいろと経験したいと思います。

 まあ、俺も道場主の馬鹿も、知り得ることは可能な限り、死ぬまで知り続けたいと思っている。

No.446 2025/02/25(Tue) 12:03:34
菜根道場5・10日雑文 / リトルボギー
 オッス!毎月20日の担当、法倫房リトルボギーだ!!
 何?態度が悪い?まあそう固いことを云うな(お約束)。

 明日(2/21)、とある事件の最高裁判決が下される。
 裁かれるのは、日立妻子6人○害事件の被告・小松博文(現・土肥博文)である。
 事件の詳細は、数々の単語がこのBBSの禁止ワードに引っ掛かりかねないので(苦笑)割愛するが、妻子6人を手に掛け、火を放ち、その後病気で重体に陥ったことで事件の記憶を失くしたとほざいているこの男の極刑を長く俺が望んで来たのは云うまでもない。

 一時心肺停止に陥ったのは事実とのことで、然程の重体に陥ることで記憶がなくなることは例としてないこともないらしいが、やはり俺的には詐病を疑ってしまう。
 一応、人間は心底辛いことがあるとその防衛反応から記憶を消してしまうことがあるらしいが、事件やそれに至った経緯から来る被告人への嫌悪感から悪意的に詐病疑っていることは認めるが、どうしても、「このタイミングで記憶をなくすか?それもピンポイントに…。」と云うのが正直な感想だ。

 一審・二審ともに○刑判決が下されており、恐らくこれが覆ることは無いと見ている。だが万一覆る様なら、今後この国では地下鉄サリン事件や秋葉原通り魔事件や連続幼女誘拐○害事件や京都アニメーションでの様なとんでもない事件でない限り○刑判決は下されないのではないかと危惧している。

 昨年10月の袴田巌氏の無罪確定や、間もなく開催される大阪万博の影響もあって、法務省は今現在○刑執行を極めて行いにくい状態にあるし、冤罪問題を立てに○刑廃止派の言動はかなり活発化している。
 このことがどこまで影響しているかは分からないが、かなり悪質な○人事件でも、○刑が求刑されること自体が稀で、現在○刑求刑で係争中の被告は小松を含め、四人しかいない。
 事勿れ主義の法曹界は執行や求刑を極力行わないことで○刑案件や、○刑囚の自然減少を待って、○刑制度の形骸化を狙っているように思われてならない。

 前後に様々思う事はあるが、まずは明日きっちりと小松は裁かれて欲しい。感情的には裁かれるより、捌かれて欲しいと思っているが。
 何?残虐人間だと?ええ、俺は凶悪犯相手には残虐人間にはなれても、聖人君子にはなれませんよ。

 ではまた来月。

No.441 2025/02/20(Thu) 14:30:45

Re: 菜根道場5・10日雑文 / エラーコーナー
すみません、レスポンスしたつもりが、別のスレッドになりました。申し訳ありません。よろしくお願いいたします。
No.443 2025/02/22(Sat) 21:27:42

Re: 菜根道場5・10日雑文 / 眠り犬
そろそろ眠くなりましたので、大黒摩季さんのコンサート以下のレスポンスは後ほどさせていただきます。よろしくお願いいたします。
No.444 2025/02/22(Sat) 22:18:51

Re: 菜根道場5・10日雑文 / リトルボギー
> そろそろ眠くなりましたので、大黒摩季さんのコンサート以下のレスポンスは後ほどさせていただきます。よろしくお願いいたします。

 まあ、何かと体調も芳しくないと聞いているので、ご無理を為されずに。 
 同じ道内在住の、シルバータイタンの特撮仲間がコロナでダウンしている。くれぐれもお体の御自愛を。

No.445 2025/02/25(Tue) 11:39:53

Re: 菜根道場5・10日雑文 / 猫猫病院
いつもわたしの体調を心配していただきましてありがとうございます。🙇

道場主さまの、北海道のお知り合いの方のコロナの平癒をお祈りします。

No.448 2025/02/25(Tue) 16:37:12

Re: 菜根道場5・10日雑文 / シルバータイタン
> いつもわたしの体調を心配していただきましてありがとうございます。🙇
>
> 道場主さまの、北海道のお知り合いの方のコロナの平癒をお祈りします。

 もう、大丈夫の様です。

No.457 2025/03/01(Sat) 00:23:21
菜根道場5・10日雑文 / ダンエモン
 御来房の皆様、こんにちは。
 毎月15日の担当、楽曲房ダンエモンです。

 今月8日、大阪のフェスティバルホールで開催された名曲コンサートin大阪に参加してきました。目的は勿論、歌い手の一人である摩季ネェです。
 藤井隆氏・山本彩さんが司会で、摩季ネェの他に、高岡早紀さん、Ms.OOJAさん、横山剣さんが参加され、「名曲」の名の通り、「誰もが知っている。」とされる有名曲が歌われました(ダンエモンにとって、サビしか分からん曲や、全く知らなかった曲もありましたが(苦笑))。

 例を挙げると、「木綿のハンカチーフ」や、「タイガー&ドラゴン」、「恋に落ちてFall in love」等が歌われ、摩季ネェは当然の様に「ら・ら・ら」が歌われた訳ですが、摩季ソング以外でダンエモンにとって嬉しかったのは「365日の紙飛行機」を聴けたことでした。

 勿論山本彩さんが歌った訳ですが、ダンエモンが「この曲を聴けて嬉しかった。」と話すと、多くの友人知人が怪訝な表情を返していました。
 高校生の頃から熟女好きで、群れることが嫌いな性格であるダンエモンにとって、「○○○48」や「□□46」といったグループはほぼほぼアウト・オブ・眼中なのですが、それでも前々から「365日の紙飛行機」はいい曲だと思っていました。

 前々から云っていることですが、ダンエモンは歌詞で惚れるタイプなので、嫌いな歌手や、好みでない声質ゆえに殆ど聴かない歌手やグループの歌でも、「良い歌は良い。」と思っています。
 まあ、基本趣味は「狭く深く」の人間なので、敬愛するアーティスト以外は無知に等しいので、古今東西の名曲の存在が欠落している可能性は鬼の様にありますが(苦笑)。

 「365日の紙飛行機」は朝の連続ドラマの主題歌になったことで自然と耳に入って来たことも大きいかもしれませんが、「人は思うよりも一人じゃないんだ すぐそばの優しさ気付かずにいるだけ」や「その距離を競うよりどう飛んだかどこを飛んだのかそれが一番大切なんだ」の歌詞は最初に聞いた時から心に残っていました。

 周囲の人間が私の好みに偏見を持っている様に、私もまたアーティストに対して偏見から名曲の存在を漏らしている可能性は高いかもしれません。
 リリース時は大ヒットしても、その後全く歌われない曲などは名曲と見ていないから、ヒットしているその時にはまず注目しないから余計かも知れません。
 卑しくも「楽曲房」などと銘打っている以上、「狭く深く」の基本路線は変えずとも、ある程度の「広く浅く」の必要性も重視しなくては、と考える今日この頃です。

 ではまた来月。

No.440 2025/02/20(Thu) 14:10:42

Re: 菜根道場5・10日雑文 / ネコワシ
こんにちは、大黒摩季さんのコンサート行かれたのですね。
とても楽しかったと思います。

高岡早紀さんはファンではありませんでしたが、めんこいと思います。
他の方はお名前だけ知っています。

わたしも、イヌワシのように鳥のように大ヒットを飛ばした曲でみも知らなかったり、サビだけ知っている曲もあります。

大黒さん以外は、カバー曲のコンサートですね。

木綿ハンカチーフはもちろん、恋に落ちては知っています。
タイガードラゴンはあまりよくわかりませんでした。


わたしは、本家だけでなく、カバー曲を聴くのも大好きです。

ワンマンでなく、いろいろな方が出演されるコンサートもよろしいですね。

大きなコンサートの場合は、対バンとはあまり言わないですが、地元のジャズライブなどのメンバーがたくさん出演する対バンライブはたまに行きます。
太田裕美さんのコンサートで、他に、南こうせつさん、伊勢正三さん、杉田二郎さん、夏川りみさんなどが来ていたコンサートも行きました。

じつは、365日の紙飛行機もよくわかりませんでした。

あるアイドルグループの方の歌のようですが、聴いてみたら、はやり飛んで行くような歌で、イヌワシのように鳥のように大ヒットやわ飛ばしたようですが、飛んでいくというと、またいつものですが、飛んで飛んでという歌を歌って、ネコワシのように一曲で飛んで行ったM氏を思い出します。

そういえば、あるアイドルグループも、最近は、ネコワシのように失速しているような感じです。

わたしもイヌワシのように鳥のように快調に飛ぶ人生ではなく
ネコワシにように失速しながらの人生でしたが、それには悔いはないです。

わたしも大きなコンサートも行きたいのですが、なかなか北海道まではきてくれないです。

個人的には、南野陽子さんのコンサートがあるので行きたいと思いましたが、場所は東京で、真夏なので暑いのもあり無理ですね。

あとは、俺たちの旅50周年の中村雅俊さんなど4名のコンサートも行きたいのですが、こちらば9月ですが、1番近くて仙台でした。まいった。

札幌、せめて北海道内に来ていただけばと思います。

大黒摩季さんも、チケットが買えれば行きたいです。

No.449 2025/02/25(Tue) 17:29:57

Re: 菜根道場5・10日雑文 / エラーコーナー
書き忘れました。

わたしは、たしかに好みはありますが、音楽は軍歌以外はオールジャンルオーケです。

No.450 2025/02/25(Tue) 17:32:24

Re: 菜根道場5・10日雑文 / ダンエモン
> こんにちは、大黒摩季さんのコンサート行かれたのですね。
> とても楽しかったと思います。

 はい、楽しかったです♪

>
> 高岡早紀さんはファンではありませんでしたが、めんこいと思います。
> 他の方はお名前だけ知っています。

 名前・顔の知らない方もいました(苦笑)。

>
> わたしも、イヌワシのように鳥のように大ヒットを飛ばした曲でみも知らなかったり、サビだけ知っている曲もあります。
>
> 大黒さん以外は、カバー曲のコンサートですね。

 摩季ネェもカバー、歌ってましたよ。勿論オリジナル曲も歌われてもいましたし。

>
> 木綿ハンカチーフはもちろん、恋に落ちては知っています。
> タイガードラゴンはあまりよくわかりませんでした。

 「俺の話を聞け! 5分だけでいい」と云えば、お分かり頂けるかと。

>
>
> わたしは、本家だけでなく、カバー曲を聴くのも大好きです。
>
> ワンマンでなく、いろいろな方が出演されるコンサートもよろしいですね。
>
> 大きなコンサートの場合は、対バンとはあまり言わないですが、地元のジャズライブなどのメンバーがたくさん出演する対バンライブはたまに行きます。

 まあ、私の場合は拙房で敬愛してるアーティストがいるかどうかがすべてですね。

> 太田裕美さんのコンサートで、他に、南こうせつさん、伊勢正三さん、杉田二郎さん、夏川りみさんなどが来ていたコンサートも行きました。
 南こうせつさん、夏川りみさんは是非一度、生で「神田川」、「夢一夜」、「涙そうそう」を聴きたいですね。

>
> じつは、365日の紙飛行機もよくわかりませんでした。
>
> あるアイドルグループの方の歌のようですが、聴いてみたら、はやり飛んで行くような歌で、イヌワシのように鳥のように大ヒットやわ飛ばしたようですが、飛んでいくというと、またいつものですが、飛んで飛んでという歌を歌って、ネコワシのように一曲で飛んで行ったM氏を思い出します。

 AKB48ですよ。朝の連ドラの主題歌で一躍有名になり、お嬢ちゃんグループに興味の無い私でも知っていましたから。

>
> そういえば、あるアイドルグループも、最近は、ネコワシのように失速しているような感じです。
>
> わたしもイヌワシのように鳥のように快調に飛ぶ人生ではなく
> ネコワシにように失速しながらの人生でしたが、それには悔いはないです。

 常に失速せずにいるなんて、誰にとっても困難ですよ。
 上手く失速を避けている人もいますが、どこかで休まれていますね。でなければ、人気絶頂の内に解散・引退するかですかね。

>
> わたしも大きなコンサートも行きたいのですが、なかなか北海道まではきてくれないです。
>
> 個人的には、南野陽子さんのコンサートがあるので行きたいと思いましたが、場所は東京で、真夏なので暑いのもあり無理ですね。

 暑いのは苦手ですかな?摩季ネェのライブはいつどこでやっても熱くなりますぞ(笑)。

>
> あとは、俺たちの旅50周年の中村雅俊さんなど4名のコンサートも行きたいのですが、こちらば9月ですが、1番近くて仙台でした。まいった。
>
> 札幌、せめて北海道内に来ていただけばと思います。
>
> 大黒摩季さんも、チケットが買えれば行きたいです。

 摩季ネェはツアーなら必ず札幌が含まれますよ。

No.456 2025/03/01(Sat) 00:21:56
菜根道場5・10日雑文 / シルバータイタン
 御来房の皆様、こんにちは。
 毎月10日の担当、特撮房シルバータイタンです。

 現在アップ中の「復讐を捨てるとき」ですが、やはり重いですね(苦笑)。決して美しい感情ではないと思いながら、私自身、復讐心や報復感情とは全く無縁の人間ではないから余計です。
 幸いにして、今までの人生で相手の命を奪いたくなる程の怨みを抱く相手には遭遇していないのです(←鉄パイプで滅多打ちにして半殺しにしてやりたい奴は数名います)が、それでも報復感情は決して小さい方ではないので、自己の狭量さを恥じるとともに、万一身内・親友・恋人・恩人を手に掛ける様な物が現れた際にどれほどの激情に捉われるのか怖くなることがあります。

 そんなことを考えているからかも知れませんが、現在放映中の『仮面ライダーガヴ』にて主人公ショウマが置かれた状況には複雑なものを感じます。
 ストマック社一族の妾腹の末弟に生まれ、腹違いの兄や姉が間違いなく血の繋がった身内でありながら、実母の仇でもあるのですから。
 そしてストマック社の為に母を失った辛木田絆北斗が、ショウマの素性を知り、彼に殴り掛かりつつも、落ち着いた後には彼への信頼を取り戻し、甘根幸果に至っては、取り乱した絆斗がショウマを罵っても、「自分が見たウマショーを信じる。」としていた姿にはホッとしたものを感じさせられました。

 如何なる感情も、直接触れた者が第一ですが、それさえも時として疑う人間の弱さはまだまだ現実でも、フィクションでもよくよく考えなければならないかも知れません。

 ではまた来月。

No.439 2025/02/20(Thu) 13:45:43

Re: 菜根道場5・10日雑文 / 仮面ライダースーパーニャン
こんばんは、わたしも旅行作家になりたかったのは前回書きました。
でも、旅行作家になると、旅するのが仕事になってしまいますね。
趣味的に1冊か2冊出版するのとは違います。
旅行も趣味としてやっていてよかったとは思います。

そのぶん、道場主さまには電子書籍でも出版してほしいです。
以前より出版のハードルは下がっていると思います。
もし出版されたらわたしは購入しますよ。

わたしは、思い出したくもない人間がたくさんいます。
特に東京にいたときのビーグ〇ーターよりひどいブラック企業の奴ら。まあ慕っていた大先輩などもいましたけど。

少し前に東京の実家に帰ったとき、毎回のように前の会社の「同期の人はまだいるの?、あの何々の人は?」などと聞いてくるのでわ、たしはもう嫌でたまらないので、顔をしかめて、わからないと答えて、もう2度と聞かないでとはっきり伝え、SNSでもはっきり連絡しましたね。👅
あ〜思い出したくもない。
人間の皮をかぶった化け物や怪人なので。

本当に仮面ライダースーパーニャンではやっぱり弱そうだなあ仮面ライダースーパー1に退治してもらいたい奴らばかりです。

もう10年以上前におさらばされられた会社の、何の付き合いもない人間のことは一切わかりませ〜ん。👅

仮面ライダースーパーガヴも題名だけはわかります。
内容はわかりませんが重そうですね。

家庭環境に恵まれない方も多いですね。
血がかよってなくても、法律上繋がっていれはよろしいのではと思います。

いまでこそ、DNAや血液型などで、実の親子かどうかわかりますが、わたしの家系も本当に全部血が繋がって来たのかは不明ですからね。

まあ、このようなときは、独身が1番気楽だと思います。

もう結婚はいつなの?と聞かれる歳は過ぎました。

北海道の人はあまり詮索しない人が多いですが、それでもほっとしています。

仮面ライダーもCGで画面がきれいになりましたが、アナログ時代の仮面ライダーのほうも味があります。

No.451 2025/02/25(Tue) 19:19:16

Re: 菜根道場5・10日雑文 / シルバータイタン
> こんばんは、わたしも旅行作家になりたかったのは前回書きました。
> でも、旅行作家になると、旅するのが仕事になってしまいますね。
> 趣味的に1冊か2冊出版するのとは違います。
> 旅行も趣味としてやっていてよかったとは思います。
>
> そのぶん、道場主さまには電子書籍でも出版してほしいです。
> 以前より出版のハードルは下がっていると思います。
> もし出版されたらわたしは購入しますよ。

 予定は未定ですが、嬉しいお言葉ですね。

>
> わたしは、思い出したくもない人間がたくさんいます。
> 特に東京にいたときのビーグ〇ーターよりひどいブラック企業の奴ら。まあ慕っていた大先輩などもいましたけど。

 まあ、ブラック企業も一度は選んだことや、「入社、則、退職」した企業でない限り、何かを見込んだ訳で、そこは複雑なものがありますね。

>
> 少し前に東京の実家に帰ったとき、毎回のように前の会社の「同期の人はまだいるの?、あの何々の人は?」などと聞いてくるのでわ、たしはもう嫌でたまらないので、顔をしかめて、わからないと答えて、もう2度と聞かないでとはっきり伝え、SNSでもはっきり連絡しましたね。👅
> あ〜思い出したくもない。
> 人間の皮をかぶった化け物や怪人なので。

 えらい云われ様ですな。

>
> 本当に仮面ライダースーパーニャンではやっぱり弱そうだなあ仮面ライダースーパー1に退治してもらいたい奴らばかりです。
>
> もう10年以上前におさらばされられた会社の、何の付き合いもない人間のことは一切わかりませ〜ん。👅

 まあ、舌を出さずとも、「知らぬ存ぜぬ。」で良いでしょう。

>
> 仮面ライダースーパーガヴも題名だけはわかります。
> 内容はわかりませんが重そうですね。

 背景・設定は重いですが、仲間は理解ある人が多く、安心して観ていられます。

>
> 家庭環境に恵まれない方も多いですね。
> 血がかよってなくても、法律上繋がっていれはよろしいのではと思います。
>
> いまでこそ、DNAや血液型などで、実の親子かどうかわかりますが、わたしの家系も本当に全部血が繋がって来たのかは不明ですからね。

 まあ、薩摩守が得意とする歴史においても、崇徳天皇、平清盛、豊臣秀頼、とその出生を疑われる人物がいますが、多分に妬みが見られますね。

>
> まあ、このようなときは、独身が1番気楽だと思います。
>
> もう結婚はいつなの?と聞かれる歳は過ぎました。

 道場主も極稀に腫物の様に云われるようになりました(苦笑)。

>
> 北海道の人はあまり詮索しない人が多いですが、それでもほっとしています。
>
> 仮面ライダーもCGで画面がきれいになりましたが、アナログ時代の仮面ライダーのほうも味があります。

 一時はかなりCGが過ぎましたね。CGが無い時代の様々な努力は確かに味がありました。

No.455 2025/03/01(Sat) 00:14:53
菜根道場5・10日雑文 / 薩摩守
 御来房の皆様、こんにちは。
 毎月五日の担当、戦国房薩摩守です。
 
 二月に入り、想像以上に公私に渡って忙しく、日々帰宅後は入浴・留守録番組鑑賞・夕飯でその日が終わってしまう日々を送り、雑文も更新もかなり滞らせていますことをお詫び申し上げます。

 先日お話ししました映画鑑賞もまだ行けていません。仮に行けなかった場合でも、来月には何の映画だったかはお伝えすことになるかと思います。

 現在、アップ中の『注目の夜討ち集』ですが、戦国時代以外の歴史に対する検証がまだまだ不足していることを痛感させらるのはいつものことですが、比較的詳しいと思っている戦国時代の歴史に関しても、信長・秀吉・家康の三英傑をメインとした知識で、歴史のターニングポイントなった戦史として認識している河越城の戦いや厳島の戦いに関しても知識・検証ともにまだまだ不足していることを思い知らされています。

 また、日本史とは少し離れますが、先日、ケーブルTVにて長年観たいと思っていた『大王世宗(テワンセジョン)』を全話見ることが出来、改めて中国と陸続きだった朝鮮半島が良くも悪くも中国の影響を強く受けざるを得ず、海に囲まれて近代までは鉄壁の天然防御力を持っていた日本が独自の文化を築き得たことは大きいと実感しています(勿論いい面も悪い面もある訳ですが)。

 一例を挙げると、李氏朝鮮の国王は「陛下」ではなく、「殿下」と呼ばれ、臣下が諸手を挙げて長寿を寿ぐ際も「万歳(マンセー)」ではなく、「千歳(チョンゼ)」と叫ばれ、「何処まで中国の皇帝に遠慮せにゃならんのだ?!」と何度も思いました。
 その点、「中華の長にしか許されない。」とした「皇」や「帝」の字を日本の天皇が使えたことも、距離や海の影響が大きいと改めて気づかされます。

 もっとも、今世界が某合衆国の返り咲き大統領に振り回されている状態を鑑みると、中国と朝鮮の関係は決して過去のものでも、この二国だけのものでもないことを感じずにはいられませんが(嘆息)。

 ではまた来月。

No.438 2025/02/20(Thu) 13:34:43

Re: 菜根道場5・10日雑文 / 猫猫病院
こんばんは、わたしは世界史はどちらかというと苦手でした。

それでも、吉村昭氏の本などで読みましたし、外国から種痘が入って来た本も読みました。

蘭方医学も学校では習ったと思いますが、勉強嫌いでしたので詳しくは覚えていませんでしたので、やはり吉村昭氏などの本で読みました。

わたしがあまり健康でないので、昔の人たちは病気になったときどうしていたか?というのは気になりますし、いまでもYouTubeで観ることもあります。

近代までは、治療法がわからないので、神仏に祈るや、全然効き目のない治療法も多かったです。

近代以後は、治療法がはっきりした病気もありましたが、病院などで治療できるのは、いわゆる上級国民だけで、抗生物質ができて、だれでも治療できるのは戦後になります。
日本では、健康保険制度ができたのも戦後ですね。

外国では、健康保険がなく、自分で民間の保険に入らなければならい国などもありますね。 

わたしのご先祖様に、現代では完治可能または治療可能な病院ですが、戦時中はまだ治療法がなかったようで10代で亡くなられた人がいます。

いま、わたしは自営業なので、国民健康保険ですが、会社で入る社会健康保険よりは高かったりはしますが、健康保険があって助かります。

こちらもYouTubeで観ましたが、イギリスで17世紀ごろに、ペストが大流行したときに、自主隔離を決めた村がありました。

コロナのときと同じですが、村内にも感染が広まっていたので、350人くらいいた人口が、収束したときには100人ほどだったそうです。

コロナ禍で、キャッシュレス化が進みましたが、この時代にもお金で感染する場合があるのを知っていたようで、村外からの食料などの料金は、お金を酢の中に入れて渡していました。
たしかに酢には消毒の効果はあります。

わたしは今でもマスク着用で、マイ消毒液持参していますが、それでもコロナやインフルエンザになるので、健康管理はしっかりやっていきたいです。

No.452 2025/02/25(Tue) 19:55:26

Re: 菜根道場5・10日雑文 / 薩摩守
> こんばんは、わたしは世界史はどちらかというと苦手でした。
>
> それでも、吉村昭氏の本などで読みましたし、外国から種痘が入って来た本も読みました。

 ほほう、なかなかの洞察力ですね。
 何の映画を見に行こうとしているか見抜かれたようですね(笑)。

>
> 蘭方医学も学校では習ったと思いますが、勉強嫌いでしたので詳しくは覚えていませんでしたので、やはり吉村昭氏などの本で読みました。
>
> わたしがあまり健康でないので、昔の人たちは病気になったときどうしていたか?というのは気になりますし、いまでもYouTubeで観ることもあります。

 民間療法も効果的なものから、ただただ怪しいだけのものもあり、色々ですね。
 それこそ種痘は当時の人々にはものすごく怖いものに映ったことでしょう。

>
> 近代までは、治療法がわからないので、神仏に祈るや、全然効き目のない治療法も多かったです。
>
> 近代以後は、治療法がはっきりした病気もありましたが、病院などで治療できるのは、いわゆる上級国民だけで、抗生物質ができて、だれでも治療できるのは戦後になります。
> 日本では、健康保険制度ができたのも戦後ですね。
>
> 外国では、健康保険がなく、自分で民間の保険に入らなければならい国などもありますね。 

 皮肉にも、独裁国家の方が医療費が無料だったりします。

>
> わたしのご先祖様に、現代では完治可能または治療可能な病院ですが、戦時中はまだ治療法がなかったようで10代で亡くなられた人がいます。

 私も抗生物質が無い時代だったら、30代で命を落としているか、足を切り落としていた可能性もありました。

>
> いま、わたしは自営業なので、国民健康保険ですが、会社で入る社会健康保険よりは高かったりはしますが、健康保険があって助かります。
>
> こちらもYouTubeで観ましたが、イギリスで17世紀ごろに、ペストが大流行したときに、自主隔離を決めた村がありました。
>
> コロナのときと同じですが、村内にも感染が広まっていたので、350人くらいいた人口が、収束したときには100人ほどだったそうです。

 倫理面では人類は余りその頃から進化していないようですが(嘆息)。

>
> コロナ禍で、キャッシュレス化が進みましたが、この時代にもお金で感染する場合があるのを知っていたようで、村外からの食料などの料金は、お金を酢の中に入れて渡していました。
> たしかに酢には消毒の効果はあります。
>
> わたしは今でもマスク着用で、マイ消毒液持参していますが、それでもコロナやインフルエンザになるので、健康管理はしっかりやっていきたいです。

 本当に油断なりませんよね。互いに気を付けましょう。

No.454 2025/02/28(Fri) 01:35:36
菜根道場5・10日雑文 / 道場主
 御来房の皆様、こんばんは。
 毎月25日の担当、菜根道場道場主・菜根道人です。

 令和七(2025)年が始まり、早くも一ヶ月が経過し、今年も残すところ一一ヶ月となりました(←『笑点』風)。
 既報通りの事情でバタバタしていましたが、今ではかなり落ち着きましたので、来月(二月)からは少しは各房の更新も始められると思います。
 では例によって分身達の動向をば。

戦国房薩摩守
 来週、映画を見に行く予定です。何の映画かは後日お知らせしますが、過去作に関連したものです。
 この数年、映画館に行っていませんし、映画を見に行くのは大抵特撮房シルバータイタンです。それを今度は戦国房薩摩守として鑑賞に行くので、個人的に極めて稀有なことです。

特撮房シルバータイタン
 昨年末より遅々としている「復讐を捨てるとき」ですが、来月か再来月には完成させ、再来月には次の新作を始める予定です。
 先日、妹より少し早い義理チョコを貰いました。正直、義理チョコなどお返しの義務が生じるだけで嬉しくないものなのですが、妹が買ってきたのは「仮面ライダー クランチチョコボックス 8P」というもので、ライダー絡みの珍しい物ゆえに喜んでいます(笑)。

楽曲房ダンエモン
 来月摩季ネェ参加のイベントに参加し、五月には真夜さんの三十周年記念イベントに、そして同月摩季ネェのツアーに参加します。
 アルバムも出ることですし、まだまだアップしていない楽曲解説も多いですが、しっかり進めていく所存です。

法倫房リトルボギー
 京都アニメーションの裁判で一審判決を不服としていた被告が控訴を取り下げ、○刑が確定し、色々と考えさせられています。
 本当に反省して罰を受け入れたのか?
 ただの自暴自棄なのか?
 早くも控訴取り下げ無効を申請している弁護士は責任感なのか?○刑廃止派の信念なのか?
 ただ、現状準備している新作は○刑とは無関係なものです。

 それでは、また来月。
 

No.431 2025/01/31(Fri) 23:59:26

Re: 菜根道場5・10日雑文 / 犬背
こんにちは、こちらもバタバタしていて、来年まであと11か月になりました。

今年の初ライブは、インフルエンザもあり、1/19になりました。

実はわたしは犬背は聞いたことがないなあ猫背で、あと、骨盤がずれていて、札幌から高速バスで1時間くらいのところの整体に通っていたのですが、コロナになって通えなくなり、現在では整体の先生もダブルワークなので、なかなか日程が合わずにどうしようかと思っていましたが、ヨガで改善の可能性があるとのことなので、現在ヨガ教室に通っています。

終わったあと、整体やマッサージの施術を受けた時のようにリラックスした感じになるのがわかります。

女性の方が多いですが、男性の方も歓迎のところを探しました。

映画ですが、年に1、2回、わたしが応援している地元の役者さんが脇役で出ているので、そちらだけ観に行きます。

あの、わたしは旅行作家になりたかったとは書きましたが、目標にしていたのは、故、宮脇俊三さんでした。
宮脇さんの父は、戦前に国会議員をしていました。

ライブも地元ならよろしいのですが、遠征になると大変ですね。
ホテルもインバウンドでかなり高いです。
また、北海道内は、雪でどんな交通機関を利用しても、遅れたり運休、通行止めなどで行けない場合もあり、春が来るまでは、地元でのライブになりますね。

まあ、中には無期刑よりも極刑のほうがという考えの被告もいますからね。
仮釈放が難しい無期刑よりはと思うのだと思います。

No.436 2025/02/03(Mon) 17:37:10

Re: 菜根道場5・10日雑文 / 道場主
> こんにちは、こちらもバタバタしていて、来年まであと11か月になりました。
 こちらもバタバタしていて、すっかり返信が遅くなりました。また、他の書き込みに対して30日を経過したため、レスが付けられないことをこの場でお詫びいたします。

>
> 今年の初ライブは、インフルエンザもあり、1/19になりました。
>
> 実はわたしは犬背は聞いたことがないなあ猫背で、あと、骨盤がずれていて、札幌から高速バスで1時間くらいのところの整体に通っていたのですが、コロナになって通えなくなり、現在では整体の先生もダブルワークなので、なかなか日程が合わずにどうしようかと思っていましたが、ヨガで改善の可能性があるとのことなので、現在ヨガ教室に通っています。

 身内と会社の仲間にコロナ感染が相次ぎ、油断なりませんね。それにしても「犬背」とは初めて聞きました。「犬関連単語→猫に置き換え」と云う普段とは逆ですね(笑)。

>
> 終わったあと、整体やマッサージの施術を受けた時のようにリラックスした感じになるのがわかります。
>
> 女性の方が多いですが、男性の方も歓迎のところを探しました。

 マッサージは数回受けたこと有るのですが、受けたからと云って何か変わった実感はなかったです。
 ●感マッサージなら話は別かも知れませんが(笑)。

>
> 映画ですが、年に1、2回、わたしが応援している地元の役者さんが脇役で出ているので、そちらだけ観に行きます。
>
> あの、わたしは旅行作家になりたかったとは書きましたが、目標にしていたのは、故、宮脇俊三さんでした。
> 宮脇さんの父は、戦前に国会議員をしていました。
>
> ライブも地元ならよろしいのですが、遠征になると大変ですね。

 やはり東京を離れたのは悔やまれます、
 特に椎名さんのライブは大阪での1回を除いてすべて関東ですし、真夜さんも関東と関西でしか参加していません。
 北海道、九州、東海、中国、四国、沖縄まで云ったのは摩季ネェのみです。

> ホテルもインバウンドでかなり高いです。
> また、北海道内は、雪でどんな交通機関を利用しても、遅れたり運休、通行止めなどで行けない場合もあり、春が来るまでは、地元でのライブになりますね。

 ホテルはほとんど泊まりません。ネットカフェがあれば大丈夫です(笑)。

>
> まあ、中には無期刑よりも極刑のほうがという考えの被告もいますからね。
> 仮釈放が難しい無期刑よりはと思うのだと思います。

 多くの人間には環境適応能力があると聞きますし、面会が出来、偶には旨いものを食えることを考えると、凶悪犯の手に掛かった人々が二度と出来ないことを凶悪犯が享受出来ることには納得がいきませんので、やはり私は極刑は必要と考えます。

No.437 2025/02/20(Thu) 13:13:24
このサイトの戦国房についての感想7 / ベルトラン
こんにちは、お久しぶりのベルトランです。
また丁寧に返事をいただきありがとうございます。
また記事の内容に対する反論も多くありますがご了承ください。


まず新コーナーの注目の夜討ち集のコーナーの保元の乱の項目についてです。

崇徳上皇陣営の高松殿への夜襲案は、成功するのか私は疑問なんですよね。
白河北殿を空にするわけにもいかない以上、ただでさえ後白河陣営の半分しかない手勢を二手に分けなければいけませんし、後白河天皇陣営も夜襲を決断した以上高松殿も臨戦態勢に入っているはずですから夜襲が成功する保証もありません。
そう考えると頼長の興福寺の悪僧集団など大和からの援軍を待つという考えも、結果的には失敗したとはいえそこまで間違った策でもないような気もします。

また前も言いましたが崇徳上皇陣営は有能ですが協調性のない人物が多いので、もし長期戦になった場合には足並みが乱れる可能性も高いです。
そもそも崇徳上皇陣営が不利だったから負けただけであり、何やっても勝ち目がなかったのかもしれませんね。


次に源頼朝挙兵の項目についてです。
山木兼隆が着任したのは一説には源頼朝挙兵の二か月前ともされているので、少なくとも山木兼隆個人に対しては頼朝としては特に恨みはなかったかもしれませんね。

まあ源頼朝挙兵の動機は京都から平家が頼朝の命を狙っているという虚報がもたらされたからなので、頼朝頼朝としてとしては単に生き残りに必死だっただけかもしれません。
だから頼朝本人としては源氏御曹司としてのデビュー戦だなどという考えがそもそもなかったような気がします。


次に富士川の戦いの項目についてです。
まあ同時代の公家の日記によれば維盛軍1000〜2000騎、源氏軍4万騎という兵力差だそうですので、兵の士気の低さとかいう以前の問題であったでしょう。
夜襲の際の平家方の大混乱もそもそもこの兵力差だとやむおえなかったといえますし、連年の大飢饉から食糧不足の最中の東国征伐がそもそも無謀だったというのが実情でしょうね。

またそもそも平家の主流派である知盛・重衡ではなく、若くて経験がなく平重盛の死後主流から外れつつある平維盛に総大将を任せたことも敵をなめすぎといえますし、平家の戦略に大きな問題があったわけですね。
平家の貴族化や平維盛の個人的な資質といったことが敗因だったわけではないと言えます。


まあそもそも日本人は夜討ちが大好きだと思います。
日本の歴史では夜襲で勝利した話は輝かしい勝利として称賛され、決して卑怯とは言われませんから。

保元の乱でも夜襲は卑怯と言った公家は批判されるのみで共感されることはありませんし、日本人が好む乱世の英雄は源義経や楠木正成に真田など正々堂々戦うイメージではなく、むしろ奇襲などを得意とするイメージの武将が多いです。

日本人は結局正々堂々戦うよりも夜襲など奇襲戦法で勝利する話を好む夜襲大好き国民であり、夜襲を卑怯とは基本的に思わないんでしょうね。



次に帰ってきた「菜根版名誉挽回してみませんか?」のコーナーの毛利輝元の項目についての続きです。
輝元は家康が留守の隙に西国を制圧して優位に立った後に家康と有利な条件で和平を結ぶ計画だったようで、三成達との交渉を担当したのが安国寺恵瓊であり、家康との交渉を担当したのが吉川広家だったようです。
しかし予想外に東軍からの離反者もなく、また迅速に引き上げてきたため計算が覆されてしまったようです。

西軍は西国の制圧のために分散していて手薄であり、大坂城の輝元の手元には数千ほどの軍勢しかいなかったようです。
軍事的には東軍により短期間で岐阜城が陥落した時点で大勢はすでに決していたというのが現在の有力な見方のようで、それで輝元も安国寺や三成を見捨てて生き残りを図る決断をしたようです。
関ヶ原の戦いはもはや残敵掃討に近い状態であったというのが現在の有力な見方のようですね。


次は足利直義の項目で話題にした後醍醐天皇についての続きです。
そもそも日本の朝廷で天皇が自ら政治を行う上で、むしろ一番邪魔なのは藤原摂関家などの公家です。
これは平安時代などで天皇をないがしろにする貴族たちがどれだけいたか考えれば理解できると思います。
また朝廷の非主流派であり、本来は皇位につくことすらあり得なかった立場であり、朝廷内に味方の少ない後醍醐天皇にはより切実だったはずです。

だからむしろ後醍醐天皇は積極的に武士を政権に参加させるなど、武士を優遇することで武士を味方につけることで公家たちを押さえつけようとしていました。
実際幕府が滅んだのにより一層武士が優遇されていると、公家の一人が言っていたという記録も残されているようです。

また後醍醐天皇が最も警戒していた相手は護良親王だったようです。
というのも後世から見るから最も警戒すべきなのが足利尊氏のように見えるわけですが、そもそも足利家はどうも鎌倉時代における地位は江戸時代に例えれば前田家程度であり、他の有力な武家から武家の棟梁になるにふさわしい家系とまで認められていたわけではなく、南北朝で尊氏が盟主として祭り上げられたのも尊氏個人の功績とカリスマの要素が大きかったようなのです。

そもそもこの時代は鎌倉時代に源氏将軍が三代で終了し80年以上皇族の征夷大将軍が続いていた時代であり、室町幕府や江戸幕府のことを知る後世の我々と違い、将軍は皇族が就任する官職という感覚が強かった時代です。
そう考えると同時代感覚で幕府のトップである征夷大将軍に最もふさわしいのは、皇族であり、鎌倉幕府との戦いで功績を上げた護良親王のわけです。
実際護良親王は野心家でもあり、征夷大将軍に就任して自ら政治の実権を握るべく活動していたようで、足利尊氏は鎮守府将軍に就任して建武政権の軍事部門のトップになっていました。

つまり護良親王が足利尊氏を排除しようとした理由は尊氏が幕府を開くのを警戒していたわけではなく、自ら将軍として幕府を開き政治の実権を握ろうとする護良親王にとって後醍醐天皇に従い朝廷の軍事を担当する尊氏が目障りだったという理由であったようで、後醍醐天皇が護良親王を処分したのも当然だったと言えるでしょうね。

後醍醐天皇が武士を冷遇しなかったと最近は見られるのも、こういう実態が解明されたからなんですね。
従ってもう後醍醐天皇が武士を冷遇したという説は、一般に広まっていないだけで歴史学者の世界ではもう完全に過去の話となっているわけですね。


次は足利直義や高師直のことを考察するのに重要な足利尊氏についてです。
彼は兄の早世で予想外に家督を相続したせいか、本来あまり野心のない人物だったようです。
彼が幕府に反旗を翻した理由は、反幕府軍との戦いで幕府がこのままでは危ないと感じて、北条家との縁で足利家もこのままでは幕府と共倒れになるという危機感だったようです。

また彼は自分を優遇してくれた後醍醐天皇に強い忠誠心を持っており、建武政権に反旗を翻すつもりはなかったようです。
中先代の乱で出陣したのは弟を助けるためと、北条時行の軍勢を放置しておくことは建武政権の危機につながるという考えであったようです。

また乱鎮圧後に勝手に恩賞を与えたのも単に論功行賞をすぐに行わないと従軍した武士が不満を持ち再び反乱が起きかねないとの危機感が原因であり、後醍醐天皇の帰還命令を無視したのも関東の統治機構である鎌倉将軍府が瓦解した状況では暫定統治の体制を整えないで尊氏が帰還するのは危険だと判断しただけのようです。
何しろ北条の残党がまだ関東各地に潜伏している状況ですから、これを放置して置くわけにはいかないという判断であり、足利氏による幕府を開く気はこの時点ではなかったようです。

それではなぜ後醍醐天皇と対立することになったかというと、新田義貞ら反足利派の策動に後醍醐天皇が取り込まれた。
もしくは弟の直義が新田義貞と仲が悪かったともいわれているので、直義と新田義貞の対立を抑えきれなかったなどが考えられるそうです。

ちなみに尊氏は政治家として無能扱いされることもありますが、足利直義や高師直やいないときには自分で問題解決しているので、能力が低いというより権力欲が低かったともいえます。
また源頼朝や徳川家康という日本史全体で見てもトップクラスの有能な政治家と比較されやすい立場というのも、尊氏の政治能力が低く見られがちな理由かもしれません。
まあ三人の初代将軍のうち頼朝と家康は後世から見て政治家の印象が強く、自ら戦って天下を勝ち取ったような征夷大将軍らしい将軍という点では尊氏が一番かもしれませんね。


次に「大敗」を検証のコーナーの関ヶ原の戦いの項目についての続きです。
そもそも関ヶ原の戦いの敗因についてですが、佐和山19万石の大名でしかない石田三成は西軍の総大将には不足ですが、毛利輝元は家格と実力は問題ないものの豊臣家との関係が疎遠であり、どちらも豊臣家を仕切るには不足があります。
そのため徳川家康を大将として指揮系統がしっかりしている東軍に対して、西軍は石田三成と毛利輝元の連合政権のようになり何を決定するにも有力者の合意が必要な意思決定の遅い組織になり、東軍の迅速な行動に対しことごとく後手に回ってしまったわけです。

つまり西軍の意思決定の遅さは総大将毛利輝元が優柔不断だっただけでなく西軍の組織構造そのものにこそ真の原因があったわけですが、問題は石田三成がこういった問題を認識していなかったということのようです。
胴も三成は独裁者である豊臣秀吉に命令により何事も迅速に事が運ぶ状況に慣れすぎていたようです。

三成は秀吉の懐刀としては有能であり、豊臣政権というしっかりした組織にいるうちは活躍できましたが、西軍という新しい組織を立ち上げるのには不適格だったようですね。


次に胡亥と悪宦官・趙高についての続きです。
実は史記には子嬰は胡亥(二世皇帝)の兄の子としか記されてなく、子嬰は扶蘇の子であるという話は史記などの記録に裏付けがある話ではないそうなんです。
そもそも扶蘇の子・子嬰がこの状況でまだ生きていること自体が不自然であり、おそらく子嬰の父は扶蘇ではないのでしょう。


次に戦国の鬼達のコーナーの柴田勝家の項目についての続きです。
逆を言えば秀吉と勝家の不仲説を証明する事件は、北陸攻めの無断離脱くらいしかないんです。
この事件だけを根拠に秀吉と勝家が不仲だと決めつけるのは、私としてはちょっと強引のような気がするんですよね。
まあ仲良しではなかったでしょうが、不仲というのは後に秀吉が勝家を討った事から逆算されて創作された話ではないでしょうか?


次に以前感想を言った鎌倉私設軍事裁判のコーナーの北条時宗についてです。
元使の斬首については文永の役の後にしか処刑しておらず、和平をしていない以上法的には日本と元は交戦状態ですから。
交戦状態の相手からの使者を処刑することはこの時代は珍しくなく、また対馬・壱岐の後であることを考えれば時代の違いを考慮すれば道義的に批判することではないでしょうね。

むしろ彼の道義的な批判点は二月騒動であると思われます。
北条時輔は前も言いましたが母の身分の低さを考えれば後継者が時宗であるのは当たり前であり、この時代では当たり前のことなので不満を感じにくいのです。

またこの項目でもあるように一八歳で従五位下式部丞に叙任されるなど官位の面でも特に冷遇されているわけではないだけではなく、時輔の烏帽子親は幕府の御家人筆頭である足利氏であり、正室の出自も頼朝以来の有力御家人である小山氏と、庶子としては十分なくらい優遇されていて時宗に反抗する動機はなく、また時輔が境遇を嘆いているという記録も同時代にはとくにないのです。

六波羅探題南方に出向も最近では時輔が信頼されていたからこその人事であり、文永七(1270)年正月の六波羅探題北方の北条時茂の死後二年間後任が決定しなかったのも、そもそも時輔が信頼されていたため早急に決定する必要が無かったからというのも理由のようです。

つまりこの時輔の粛清は、特に幕府に不満も持っておらず特別不穏な様子も見せてない時輔がある日突然何の前触れもなく誅殺されるという鎌倉時代を通じてもトップレベルの理不尽な事件なわけです。
例えば頼朝の義経や範頼の粛清もこれに比べたらまだ疑う理由はある方です。
つまり北条時宗という人物は時にこういう何の正当性もない粛清をする人なわけです。

あと名越流北条氏の粛清については、彼らが肥後国と筑前守護の職を持っていたのが原因のようです。
名越時章・名越教時に叛意がないとはいえ、元の脅威で緊迫する九州の守護の職を潜在的な反得宗勢力である名越流北条氏に与えておくことを不安に感じるのはこの状況では無理もない事であったかもしれません。
実際私がもし時宗の立場だったらと考えると、自分だったら名越時章・教時を誅殺しないと自信をもって断言できませんし。


次に嘉元の乱の項目についてです。
この事件は現在では得宗である北条貞時による北条時村粛清と、それに反発した大仏宗宣ら諸支族の反撃による実行犯である北条宗方誅殺と得宗の貞時の権力喪失という事件と見るのが有力のようです。

実はこの事件で殺害された北条時村と、宗方を誅殺した大仏宗宣はどちらも得宗に立てつくことの多い人物です。
ただこの二人は得宗に立てつくといってもだいぶ事情が違うようで、大仏宗宣は諸支族と結んで得宗に対抗する傾向が強い貞時にとって政敵ともいえる人物ですが、北条時村は自分が正しいと思うことを得宗相手でも貫こうとする頑固者であり、度々得宗に意見することがあっても決して反得宗ではありません。
つまりこの事件は北条貞時が北条時村を粛清したことで大仏宗宣に対する抑えが利かなくなり得宗の貞時の権力喪失につながったということで、北条貞時は得宗の権力強化を狙ったのでしょうがあまり利口なやり方ではなかったと言えるでしょうね。


少し前にアニメ化して話題になった逃げ上手の若君で、主人公が鎌倉を奪回した際に民衆が鎌倉時代は平和だったと言っているシーンがありました。
これは確かにその通りで、鎌倉時代は確かに血なまぐさい事件が多い時代でしたがそれは支配階級の話であり、民衆をも巻き込むような大規模な戦乱はそれほど多くありませんでした。
それに比べて鎌倉幕府滅亡後の南北朝・室町・戦国の時代はまさに戦乱の続いた時代であり、関東が平和になるのは鎌倉幕府滅亡から二百年ほど後の豊臣秀吉の関東遠征まで待たなくてはなりませんでした。

もしかしたら戦乱の続いた南北朝・室町・戦国の時代を生きた関東地方の民衆にとって鎌倉時代は平和な理想的な時代であり、それをもたらした執権北条氏は理想的な支配者だったのかもしれませんね。

さて今回はこれまで。
次の更新を楽しみにしています。
それではまた。

No.430 2025/01/29(Wed) 00:21:21

Re: このサイトの戦国房についての感想7 / 薩摩守
> こんにちは、お久しぶりのベルトランです。
> また丁寧に返事をいただきありがとうございます。
> また記事の内容に対する反論も多くありますがご了承ください。

 お待ちしていました。こちらこそいつも有難う御座います。原文を一部略させて頂きますが、悪しからずご了承をお願いします。

>
>
> まず新コーナーの注目の夜討ち集のコーナーの保元の乱の項目についてです。
>
> 崇徳上皇陣営の高松殿への夜襲案は、(中略)
> そもそも崇徳上皇陣営が不利だったから負けただけであり、何やっても勝ち目がなかったのかもしれませんね。

 勝ち目が薄かったのなら、尚の事頼長が夜襲に対して面白からずとも、戦の専門家である武士の意見を尊重すべきだった気がします。
 頼長が悪僧の援軍を待っていた話は知りませんでした、勉強になりました。

>
>
> 次に源頼朝挙兵の項目についてです。
> 山木兼隆が着任したのは一説には源頼朝挙兵の二か月前ともされているので(中略)

 山木の着任時期から頼朝との因縁が無きに等しかったとの説は目にしたことはあります。
 また、拙作でも触れていますが、北条時政以外、殆ど頼る者も無く、初めて得た我が子を岳父(伊東祐親)に殺されるような状況にあった頼朝が断たざるを得なかったことには頷けるものがありますし、劣勢の頼朝が幸先のいいスタートを切る為には夜襲を含む奇襲が重要なのも分かります。
 過去作にて度々触れていますが、私の頼朝嫌いは尋常じゃないので、かなり差っ引いて見て下さい(苦笑)。

>
> 次に富士川の戦いの項目についてです。
> まあ同時代の公家の日記によれば維盛軍1000〜2000騎、源氏軍4万騎という兵力差だそうですので、兵の士気の低さとかいう以前の問題であったでしょう。

 西国の飢饉による食糧不足が響いていたのは有名ですね。倶利伽羅峠の戦いでの平家軍が一〇万との説を聞いたことがあり、富士川の戦いでも一〇万の兵を率いていたとの説を見たことがあり、そのイメージで居ました。『平家物語』にまだまだ引きずられていますかな?
 知盛・重衡兄弟は頑張った方だと思います。宇治川の戦いや興福寺の戦い、墨俣の戦いでも勝利を収めていましたしね。

>
>
> まあそもそも日本人は夜討ちが大好きだと思います。
> 日本の歴史では夜襲で勝利した話は輝かしい勝利として称賛され、決して卑怯とは言われませんから(中略)夜襲を卑怯とは基本的に思わないんでしょうね。

 敵の虚をつく戦法に対し、「上手くやりやがったな!」と称賛するか、「汚い手を使いやがって!」と嫌悪するか、時代や、贔屓も大きいと思います。
 嫌な着眼点ですが、時代を遡る程、また相手が異民族であれば、汚い手段も「上手く敵を討った。」と云う味方の前に汚点が薄れる傾向にある気がします。
 弘安の役で西国武士達が小舟に乗り込んで元や高麗の船に夜襲を掛けたのは卑怯とは思いませんが、シャクシャインの乱で和睦を持ち掛け、縁戚の場で騙し討ちにするという卑怯極まりない方法を当時の松前藩関係者は日記に「上手くやってやった。」と云わんばかりに誇らしげに綴っており、相手が異民族だと卑怯な手を卑怯とも思わない様は悲しくなります。
 謀略を成功させる誇らしさと、姑息な戦法を忌み嫌う線引きはなかなか難しいと思います。

>
> 次に帰ってきた「菜根版名誉挽回してみませんか?」のコーナーの毛利輝元の項目についての続きです。
> 輝元は家康が留守の隙に西国を制圧して優位に立った後に家康と有利な条件で和平を結ぶ計画だったようで(中略)それで輝元も安国寺や三成を見捨てて生き残りを図る決断をしたようです。
> 関ヶ原の戦いはもはや残敵掃討に近い状態であったというのが現在の有力な見方のようですね。

 輝元は元々二股膏薬を貼っていたという事でしょうか?西軍参戦諸将の中で、石田三成が打ち首になったのはある意味当然と思っていましたが、小西行長と安国寺恵瓊に関しては今もはっきりした理由を把握していません。殊に毛利家と縁の深い安国寺が処刑されたのは疑問でしたが、輝元が二股膏薬を貼り、失敗した片方を切るつもりだったとすれば、分かる気がしてきました。

>
> 次は足利直義の項目で話題にした後醍醐天皇についての続きです。
> そもそも日本の朝廷で天皇が自ら政治を行う上で、むしろ一番邪魔なのは藤原摂関家などの公家です(中略)

従ってもう後醍醐天皇が武士を冷遇したという説は、一般に広まっていないだけで歴史学者の世界ではもう完全に過去の話となっているわけですね。
 源頼朝同様、後醍醐天皇に関しても、薩摩守の好き嫌いを大幅に差っ引いて下さい(苦笑)。
 護良親王については確かに翌々考える必要がありますね。
 新田義貞らの唆しは充分考えられる話ですし、心情はともかくとして後醍醐が武士を「必要」としていたこと、それを意のままに動かす為に待遇に関して後醍醐なりに考えていたのは理解出来ます。
 ただ、両統迭立に対しても、摂関や幕府が政権を握ることに対しても、唯我独尊で臨み、自分の為に犠牲になった貴族や武士に対する哀悼を持っていたか怪しく、「最も高貴な朕に尽くして当然」と捉えていた節はイメージとして拭えずにいます。

>
> 次は足利直義や高師直のことを考察するのに重要な足利尊氏についてです。
> 彼は兄の早世で予想外に家督を相続したせいか、本来あまり野心のない人物だったようです(中略)
> まあ三人の初代将軍のうち頼朝と家康は後世から見て政治家の印象が強く、自ら戦って天下を勝ち取ったような征夷大将軍らしい将軍という点では尊氏が一番かもしれませんね。

 先日NHKの『歴史探偵』で足利尊氏と直義の関係について語っていました。戦場での指揮官としての優秀さを含む尊氏のカリスマは私が認識していた以上でした。直義や師直不在時にそれなりの力量を発揮していたのはあまり認識していませんでした。どちらかと云うと兄弟で得意分野を完全分業していたイメージでしたので。
 まあ、能力はどうあれ、尊氏は現場の武士として忠義を尽くす者の為に一途に戦う方が性に合っていたとは思います。
 政治力に関しては頼朝や家康と比べられたら可哀想な気もします(苦笑)。

>
> 次に「大敗」を検証のコーナーの関ヶ原の戦いの項目についての続きです。
> そもそも関ヶ原の戦いの敗因についてですが、佐和山19万石の大名でしかない石田三成は西軍の総大将には不足です(中略)

三成は秀吉の懐刀としては有能であり、豊臣政権というしっかりした組織にいるうちは活躍できましたが、西軍という新しい組織を立ち上げるのには不適格だったようですね。
 大谷吉継の忠告は的を得ていましたね。それでも戦ったのが石田三成の石田三成たる所以と見ています。
 もう少し年齢を経て、直前の御家騒動が無ければ宇喜多秀家が総大将を務めるべきだった気がします、私が三成なら。

>
> 次に胡亥と悪宦官・趙高についての続きです。
> 実は史記には子嬰は胡亥(二世皇帝)の兄の子としか記されてなく、子嬰は扶蘇の子であるという話は史記などの記録に裏付けがある話ではないそうなんです(中略)

 確かに「子嬰=扶蘇の子」なら、始皇帝崩御後の大粛清を
「良く生き残れたよな。」とは思いました。

> 次に戦国の鬼達のコーナーの柴田勝家の項目についての続きです。
> 逆を言えば秀吉と勝家の不仲説を証明する事件は、北陸攻めの無断離脱くらいしかないんです(中略)。

賤ケ岳の戦いに際し、信雄を通じてではありますが、旧主信長の遺児であった信孝を切腹させていますから、その後ろめたさを払拭する為にも、『絵本太閤記』を初めとする秀吉を主人公とした書では勝家を秀吉の天敵だったみたいに記載した方が都合がよかったのかも知れませんね。

>
> 次に以前感想を言った鎌倉私設軍事裁判のコーナーの北条時宗についてです。
> 元使の斬首については文永の役の後にしか処刑しておらず、和平をしていない以上法的には日本と元は交戦状態ですから(中略)実際私がもし時宗の立場だったらと考えると、自分だったら名越時章・教時を誅殺しないと自信をもって断言できませんし。

 確かに対馬・壱岐に対する仕打ちを考えれば、使者を斬って敵意を見せるのも話として全く分からない話ではないです。ただ、曲がりなりにも戦闘員ではない者を斬るのですから、それだけの理由を告げる意味でも代表の首だけ斬って、従者にそれを持ち帰らせてこちらの意図を告げるべきと考えます。
 それを全員斬った上に、全く相手に報せもしなかったのですから、交戦中とはいえ、そのことを知ったフビライが激怒したのは無理ないと思います。
 私設裁判なんて策を作ったぐらいですから、鎌倉時代は理不尽の塊だと思っています。
 確かに、じゃあ、同じ立場だったら粛清をせずに済ませられたのか?と問われれば難しいですが。

>
> 次に嘉元の乱の項目についてです。
> この事件は現在では得宗である北条貞時による北条時村粛清と、それに反発した大仏宗宣ら諸支族の反撃による実行犯である北条宗方誅殺と得宗の貞時の権力喪失という事件と見るのが有力のようです(中略)
> もしかしたら戦乱の続いた南北朝・室町・戦国の時代を生きた関東地方の民衆にとって鎌倉時代は平和な理想的な時代であり、それをもたらした執権北条氏は理想的な支配者だったのかもしれませんね。

 北条家内部のことについてはまだまだ私の勉強不足を感じるところがあります。
 鎌倉一円における「理想的な支配者だったかも知れませんね。」と云う貴見は非常に興味深いです。伊勢氏が後北条氏となったのも、それに肖ったものでしょうか?


>
> さて今回はこれまで。
> 次の更新を楽しみにしています。
> それではまた。

 今回もありがとうございました。またの閲覧、書き込みをお待ちしています。

No.432 2025/02/01(Sat) 01:05:23
菜根道場5・10日雑文 / リトルボギー
 オッス!毎月20日の担当、法倫房リトルボギーだ!!
 何?態度が悪い?まあそう固い事を云うな(お約束)。

 身内の不幸から約2週間、道場主を始め分身一同も落ち着きを取り戻した。俺の書き込みが遅れているのは、極刑に伴う、人の命に関わる漢字がNGワードとして掲示板の安全機能に引っ掛かり、なかなか書き込めないからだ。
 それ故、引っ掛かりそうな字は◯印などで伏せ字にする。一応、文の流れから分からないことは無いと思うが読みにくいのはご了承頂きたい。

 さて、今回話題にするのは少年犯罪史上最悪とされた事件の犯人についてだ。
 余りに陰惨故、事件については触れないので、詳細を知りたい方は「女子高生コンクリート」をキーワードに検索して頂きたい(もっとも、まともな神経で最後まで詳細は追えんがな)。

 主犯4人の内、3人が再犯し、少年法保護下における更生が全く役に立たなかった、或いはそんなセオリーが通じないモンスターどもだったことが人口に膾炙しているが、3年前にサブリーダー格の元クソガキ(以下、「B」と表記)が51歳で世を去っていた事を年明けのネットニュースで知った。

 気分良い内容じゃないから詳しくは書かんが、その◯に様は屑野郎に相応しい、間抜けかつカッコ悪い物だったが、それでも被害者の3倍近い時間を生き、その間には楽しいこともあったであろう事を思えばBが(◯刑を含む重罰を下されなかった事を含め)その年まで生きて来たことに今尚納得し難いものもあり、最後まで謝罪らしい謝罪、賠償らしい賠償をせず終わったことも憤懣やる方ない。

 ちなみにDも脳の奇病で49歳で既に病◯してるらしい。
 勿論当時の少年法ではあれが限界だったのは分からないでもないし、◯んだからと云って嬉しい訳でもない。
 ただ、(非科学的で好きな考え方では無いが)、やはり極悪人はロクな◯に方をしない、天罰はあるものだと、このクソガキ達に対しては思いたいし、残るAとCにも世の怒りと、因果応報に怯えながら余生を送って欲しいものである。

 ではまた来月。

No.429 2025/01/23(Thu) 12:54:47

Re: 菜根道場5・10日雑文 / ニャンセグ
こんにちは、これはひどい事件だったですね。

Youtubeでも観ました。

少年犯罪てしたが、A、B、Cの3人は再犯を犯し、そのうちの22人は、憎まれっ子世に憚るのことわざに反して、早く旅立ちました。

残りのD氏は、更生したとも聞いていますが?

でも再犯率75%は、大人の再犯率約50%より高いですね。

刑務所の改革で、ただ罰するだけでなく、受刑者に合った処遇をするようになって来ましたが、効果があることを期待しています。

20世紀末から、携帯電話、インターネットが普及し始め、いまでは、生活の一部になっていますね。

そして、携帯電話などでも、ニャンセグだと映り悪いなあワンセグでテレビが観られるようになり、Youtubeなどの動画さいともできました。

わたしもよくYoutube観ますが、少年事件で名前が公表されていなくても、実名で載せている動画も多数あり、警察やマスコミが公表しなくても全部わかってしまいますね。

そちらはネット掲示板でも同じです。

現在では、一部のアナログ人間の方以外は、インターネットを利用できるので、もう少年事件の名前非公開もあまり意味がなくなっていますね。

以前、まだインターネットが普及する前に、ある週刊誌が少年事件の実名を載せましたが、駅の売店や多くの書店などで、その週刊誌の販売をしなかったことがありました。
悪質とはいえ、違法な記事の週刊誌を発売しないということでした。

でもたとえば、YouTubeでは、特に規制はしていないというか、視聴者からの違反報告などで削除をしているような感じですね。
本元の会社が外国なので、日本の法律などがよくわからないのかもしれません。

ただ、音楽やテレビ番組など、著作権があるものに対しては、通報も多いようで、削除されていますが、その動画にもよりますね。
うるさいところもあれば、あまりうるさくないところもあるようです。

少年事件を実名で載せていてもあまり削除はされてないですね。

あの悲惨な旭川いじめ事件の動画では、加害者の少年少女の名前だけでなく、個人情報が特定され、いじめの隠ぺいした、元校長、教頭は、名前だけでなく、住所や電話番号なども特定され、マスコミやYouTuberなどが押しかけたり、自宅の窓ガラスを割られたりしていました。

こちらもYoutubeなどに載せられましたが、この事件の関係者が度重なる通報をしているようで、現在、この事件関係の動画を投稿すると、即削除され、何度もすると、警告され、収益化無効にあれ、アカウント凍結、削除されるそうです。

それでもがんばって投稿続けている方もいます。

わたし自身は、こちらは事故ではなく事件だと思います。
だれかが、被害者の少女の命を奪ったのだと思います。

ただ、担任だった菅野未里の住所等はネット特定班が動いても特定されていません。

おそらく旭川市内かその周辺にいると思います。

ちなみに元校長と教頭の居場所はわたしも知っています。

最寄り駅はJR宗谷本線の永山駅です。
自動車ですと国道40号線が走っています。
わたしも現地まで行って、文句の1つでも言ってやろうかと思いましたが、そんなにヒマ人ではないし、やめました。

わたし自身は、私刑はよくないと思いますが、この事件は、完全な事件なのに当局側も見て見ぬ振りではなく、積極的に隠ぺいに加担しているので、このようになるのはやむを得ないと思います。

最後にわたしもYouTubeなど動画はよく観ますが、やはり、旅行、交通系、ミステリー、事件関係が多いですね。あと音楽関係など。
現在ではアダルト動画はあまり観なくなりました。

No.435 2025/02/03(Mon) 16:28:12
菜根道場5・10日雑文 / シルバータイタン
 お詫びとお断り。

 今月の「菜根道場5・10日雑文」ですが、先日身内の不幸があり、道場主の精神状態が不安定なため、10日担当特撮房シルバータイタン分と、15日担当楽曲房ダンエモン分を救済させて頂きます。
 毎月楽しみにして下さっている閲覧者の皆々様(←実在するのか不明ですが)には、悪しからず御了承の程、宜しくお願い致します。

No.428 2025/01/10(Fri) 09:57:10

Re: 菜根道場5・10日雑文 / 真言宗猫鳴派
こんにちは、身内の方にご不幸があったとのことですが、こころよりお悔やみ申し上げます。

インフルエンザで簡単にしか書けなかったですが、中山美穂さん、ただ一度コンサートに行っただけで、特にはファンというわけでもありませんでしたが、54歳というわたしよりも若くしてお亡くなりになり、大変残念です。

生きとし生けるもの、いつかは亡くなりますが、100歳まで生きて大往生されるのならまだ納得がいきますが、平均寿命よりはるかに若くなくなられたり、わたしの場合は、美容院より病院のほうが長い間ご縁が深くても、還暦を迎えらたので、わたしより若くして亡くなられた場合などはとても悲しいです。

南無大師遍照金剛、合掌。

No.433 2025/02/03(Mon) 15:06:54
菜根道場5・10日雑文 / 薩摩守
 御来房の皆様、おはようございます。
 毎月五日の担当、戦国房薩摩守です。

 昨年来、「注目の夜討ち集」の更新を少し少し続けていますが、改めて自分の歴史に対する知識は偏っていることを痛感しています。
 今年の大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』で、江戸時代後期の作家や浮世絵師の版元となった蔦屋重三郎が主人公ですが、関連書籍で登場人物を見ても、幕府関係者以外は、「取り敢えず名前を知っている。」程度の人物が大半であることを恥じ入っています。
 歴史を比較的得意としていた受験生時代でも、文化史は本当に苦手でしたので、名前しか知らなかった人物の実像を深めれればと思っていますが、正直、戦国武将に対する程には意欲を感じていません(苦笑)。

 アメリカを初め、世界では右寄りな政権の発足が多く、移民問題・移民政策への反動が伺えますが、正直日本も同様の流れが起きてもおかしくないと思っています。
 改めて、戦史に対して「無責任な傍観者」でいれれば良いなと思っています。

 では、また来月。
 本年も宜しくお願い致します。

No.427 2025/01/07(Tue) 11:44:18

Re: 菜根道場5・10日雑文 / ねこ年
こんにちは、インフルエンザで大変な年末年始になりましたが、無事に完治し、仕事以外でも外出もはじめました。

わたしはねこ年ですが、昨年はねこ年でも歳男でした。

干支にねこ年を加えますと、ひとまわり13年になりますので、ねこ年の歳男はわたしが満65歳になる年です。

少なくとも、男性の平均寿命まで、父の50回忌までは見届けたいです。(満82歳)

No.434 2025/02/03(Mon) 15:17:02
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