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オッス!毎月20日の担当、法倫房リトルボギーだ!! 何?態度が悪い?まあそう固いことを云うな(お約束)。
数々の凶悪事件に対する裁判の報道を日々追い続けているが、今日提起したいのは「求刑」についてだ。
凶悪犯に対する死刑求刑に対して、理解し難い理由(「死刑を課さなければならないほど悪質とは云えない」、「他の死刑案件と比較して極刑を躊躇せざるを得ない」)で死刑が回避され続けていることへの批判(←愚痴に近いが)は散々述べてきたが、その都度検察の弱腰が気になっていた。
殊に、裁判員裁判で下された死刑判決が高裁で、無期懲役に減刑され、被告側が上告するのに、検察が上告を断念するケースが相次ぎ、被告の極刑を哀訴していた被害者遺族を思えば、上告段階での諦めには丸で納得がいかない。
恐らくは、「勝てない喧嘩はしない」主義故だろう。 有名な話だが、「日本の有罪率は99%」と云われている。特に弁護士などは批判的に語るが、逆を云えば、「絶対に有罪を立証出来る!」という確信がなければ起訴しないという事で、「どう見ても黒だろ?」という容疑者が不起訴とされ、その理由が明らかにされないことが多いのことへの憤りは先月述べた。 ただ、この方針で冤罪が免れたケースもあり得るだろうから、「勝てない喧嘩はしない。」を全面的に批判するつもりもない。特に有罪か無罪かが争われるケースであれば、有罪を立証出来ない可能性の高い起訴を見送ることも時に大切だろう。
たが、有罪が確定で、量刑を巡る問題での弱腰は本当に首を傾げている。 今までも殺人の被害者が一人の場合、被告が死刑になるケースは極少で、裁判員裁判で死刑判決が出ても、控訴審で次々と覆されてきた。そしてその連発故か、昨今では検察が罪状の凶悪さに関わらず被害者が一人のケースで頭から死刑を諦めているとしか思えない求刑が目立つようになってきた(気がする)。
厳罰を求刑する際、被告が厳罰を受けるのに相応しい者であることを訴える為、「残忍な犯行」、「身勝手極まりない」といった被告の非道さを示す文言が重ねられる訳だが、そんな言葉を散々並べながら、求刑が無期懲役だったり、有期刑だったりすると首を傾げざるを得ない。
極刑である私刑を回避するためにありとあらゆる文言を重ねるのが義務である弁護士でさえ、「死刑にする程の罪じゃない。」と抜かせば(その立場を理解してはいるが)頭にくる。 それが被告の厳罰の問う筈の検察が、凶悪さを追求する文言を並べながら、大甘な求刑を行うとなると、「一体何に忖度しているのだ!?」との疑問を抱かざるを得ない。
陰謀論は好きじゃないが、昨今の裁判を見ていると、検察・弁護士・裁判官のいずれにも極刑を避けんとする大きな圧力がかけられているように感じられてならない。 立場がどうあれ、法曹関係者が個人として慈悲深いのは大いに結構だが、凶悪犯罪者への慈悲は時として被害者や遺族への無慈悲でもあることを忘れないでほしいものである。
ではまた来月。
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No.322 2024/06/28(Fri) 23:22:57
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