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こんにちは、今日は、1985(昭和60)年8月12日に、東京国際空港(羽田)から大阪国際空港(伊丹)に向かっていた、日本航空123便が群馬県の御巣鷹の尾根に墜落してから40年の節目になります。
道場主さまの身内の方もお亡くなりになられたそうですが、そちらを承知で書かせていただきたいと思います。
この事故(事件)の概要は各所で書かれたり、動画でも配信されていますので省かせていただきますが、わたしは当時からこの事故に関して違和感を持っていましたが、いまは確信に変わりました。
当該機の、日航123便は、今後は通称の羽田空港とさせていただきますが、羽田空港を離陸後、○○○のミサイルが誤射で123便の機体に当たってしまい、機長は、すぐにスコーク77を発信し、羽田空港に戻ることを決断しますが、尾翼がほぼ吹き飛んでいて、舵の役目をする油圧系統4つが全部破損し操縦不能になったとのことです。航空機関士の「ハイドロオールロス」と報告しているのがボイスレコーダーに記録されています。
ただ、実際には、エンジンの出力調整などで機体はかろうじて操縦可能だったのです。もしかしたらその後、油圧の1系統が奇跡的に回復したのかも知れません。
かろうじて操縦可能と言っても、かなり厳しい状態であったのは確かで、機内の揺れなどは相当酷いものでした。
機長は、羽田まで戻るのは困難だと判断し、米軍横田基地に緊急着陸を決断し、横田基地に連絡し最優先で着陸できるとの回答 を得て、山梨県大月市上空で、急な1回転の旋回で高度を落とし、横田基地への着陸態勢に入っていたのです。
ただ、当該日航機を追尾していた、○○○の戦闘機から横田基地には着陸するな、機体の状態からして着陸は無理で周辺の市街地に墜落したら大変だと通告されるのですが、機長は「このままでお願いします」と回答しています。
機長は、戦闘機に妨害されながらも横田基地への最終着陸態勢に入りますが、○○○の戦闘機に、「着陸を強行するなら撃墜する」と脅され、やむを得ず横田基地着陸を断念し、山側に進路を変えます。この時の機長の「これはだめかもわからんね」という音声がボイスレコーダーに録音されています。
それでも機長は、今度は長野県側のキャベツ畑に不時着を試みようとしますが、まだ農作業中の人を発見したので、キャベツ畑への不時着を断念し、次の不時着先を探している時に、○○○の戦闘機に撃墜されました。
その後、誤射したミサイルやその証拠になる物を回収するため、墜落先が特定できないと、マスコミに偽りの情報を流し、墜落先付近の住民からの警察や消防への通報を無視するように圧力をかけ、翌朝にようやく墜落場所が発見されたように仕向けました。
消防団や警察の懸命な救助活動で、4名の生存者の方ば発見されましたが、救助のヘリコプターを要請してもなかなか来ない。 ○○○は、生存者の方がそのまま亡くなるのをまっていたかのよあうに。
それでももうマスコミなどにも見られてしまったので、仕方なく救助ヘリコプターを飛ばして4名の生存者の方を救助したのです。
収容された多くの遺体に対して、2度焼きされたようだと検視した医師が言っていました。
つまり、○○○は日航機にミサイルを誤射したことを隠ぺいしたかったのです。
もし日航機にミサイルを誤射したことが世間に知れたら大問題になります。
1970年代に岩手県雫石町上空で、全日空機に○○○の戦闘機が衝突して大問題になりましたが、今回はそれ以上の大問題になってしまいます。
それを隠ぺいするためにあのようなことをしたのです。
助かった4名の方も口止めされています。
何としても羽田空港(横田基地)に戻ろうと懸命に努力した、機長、副操縦士、航空機関士、乗客に「大丈夫です」と安心させようとしていた客室乗務員の方、無念ながら助からなかった乗客の方520名の皆様やご遺族様に対して、改めましてこころからご冥福をお祈りいたします。
また、助かった4名の方に対しても、こころからお見舞い申し上げます。
(こちらは、わたしがいろいろと調べて出した結果です。)
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No.547 2025/08/12(Tue) 19:02:25
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