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御来房の皆様、おはようございます。 毎月五日の担当、戦国房薩摩守です。
先程、制作中だった『帰ってきた菜根版「名誉挽回して見ませんか?」』を完成させました。 次回作は今月下旬にはアップを始めると思います。
今回の雑文で触れたいのは、薩摩守の政治的見解について。 拙房はあくまで歴史考察なので、現代の政治に触れることをモットーとしてはいません。しかしながら、歴史は続いているもので、遠い過去の出来事でも現代の政治・文化・思想・宗教に強い影響を及ぼしており、結果、気が付けば各作品の最終頁にて作品と関連した現代情勢について意見を綴り、時に現政権や、現代国家に対する非難を叫んでいるのも散見されます。
歴史の結果を後から知っている者は好きなことが云えるので、現時点における政治や国家に対して単純な批評を下すのは困難と思っているので、これらのことに触れるのは適切ではないと理解はしていますし、薩摩守にも好悪の感情と独断・偏見がありますので、必ずしも正しいことを云っているとは限りません(少なくとも万人が納得出来る論は出せていないでしょう)。
ただ、それでも、戦争に限らず人と人が争うことに心を痛め、ましてやそれが無知や間違った情報に起因していると思った時には、それが言葉として出てしまいます。 殊に、民族・宗教・思想の相違という、個人の努力ではどうにもならないことが起因となっている争い、どっちが正しい改善に現政権・現国家の都合で正邪が捻じ曲げられていることで止まない争いに対しては、心の痛み以上に怒りを覚えます。
そんなことを考えている中、道場主が過去にある人物から浴びせられた罵声を思い出しました。
ある人からは「この右翼め!」と云われました。 死刑制度に賛成し、在日韓国人に生まれたのを日本人に帰化し、竹島・尖閣諸島を日本領土と認識し、韓国・北朝鮮・中国による閣僚の靖国神社参拝批判を「内政干渉」と捉えていることが理由だそうです。
また別のある人からは、「この左翼め!」と云われました。 日本国憲法の改憲に(少なくとも媚米姿勢の現状が改善されない内は)否定的で、南京大虐殺を(規模はともかく存否として)歴史事実と肯定し、日韓併合に対して半島内インフラ整備拡充の功績よりも民族に与えた屈辱の方が大きいと見ていて、靖国神社の歴史史観(特に太平洋戦争を始めた意義)に対して反発的で、多くの保守論客を嫌っていることが理由だそうです。
まあ、薩摩守自身は自分が右か左か考えたこともないし、史観であれ、死刑制度であれ、民族問題であれ、「正しいものは正しい、間違っているものは間違っている。」と考え、一つ一つの事柄を可能な限り公平公正に見ようと努めているだけなのですが、つまるところ、右翼(正確には極右)や左翼(正確には極左)には、一点でも自分と異なる意見があれば、「敵」に見えるという事でしょうか?(苦笑)
これらの諸問題で、一番ショッキングだったのは、それまで親しげにしてくれた方に、薩摩守が在日韓国人からの帰化人であることを伝えた途端に、
「例え帰化していても、お前は韓国人で、日本の敵だ。」
と云われた時でした。 この人は決して悪人などではなく、聞けば幼少の頃にたまたま関わった在日韓国人にとんでもない人がいて、偏見を持つようになったのは容易に推察出来たのですが、出自の前にそれまでの友誼が完全に覆されたのが非常にショックでした。 つまり薩摩守が如何に振舞おうと、「どう生まれたか?」の前には全くの無意味と突き付けられたに等しかったからです。
同時に、在日韓国人の知人の中にも、「帰化したお前は裏切り者」と見る人が僅かに存在します。
正直、この手の人達には何を云っても無駄なのかも知れません。 云い換えれば、自分で見聞きした事柄よりも、「○〇人は●●な奴に決まっている」という植え付けられた知識の方に翻弄される可哀想な人、と認識するしかないのかも知れません。
暗い話になりましたが、改めて人間誰しも固定概念があり、それが大勢の人間に共通すると頑迷な史観・民族観・宗教観に繋がることの恐ろしさを認識しています。 完成したばかりの『帰ってきた菜根版「名誉挽回していませんか?」』を制作している途中にもそれは思いました。 それ故、完璧は不可能でも、今後も可能な限り公平公正に歴史上の人物を見定め、好き嫌いに左右されず認めるべきは認め、批判すべきは批判していきたいと思います。
それでは。
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No.349 2024/09/06(Fri) 12:47:09
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