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御来房の皆様、こんばんは。 毎月10日の担当、特撮房シルバータイタンです。
つい先ほど、ケーブルTVで録画した『仮面ライダーBLACK SUN』の第1話〜第5話を視聴しました(第6話以降は来月放映)。 率直に思ったのは、
「子供には見せられないな。」
ということでした。 誤解無いように予め申し上げますが、作品を批判する気は一切ありません。それどころか人間同士が様々な差異を乗り越えて共存共栄していく為の重要な命題が投げかけられていると思いました。
これから見る方の為にネタバレになりかねない部分への言及は避けますが、背景を申し上げれば、人間と怪人の共存共栄への賛否への対立が描かれています。 有り体に云えば、「差別」という問題が取り沙汰されています。加えて、政府高官も正に邪にストーリーに深くかかわっており、「子供に見せられない。」としたのは、子供が見るには難し過ぎることや、元となった『仮面ライダーBLACK』に対するそれなりの知識が無いと楽しみがも考察も不充分となりかねないことや、戦闘や殺傷や改造手術の描写におけるグロさなどが挙げられます。
差別に関する作品と云えば、うちの道場主と世代の近い人達の多くは『帰ってきたウルトラマン』の「怪獣使いと少年」の話を思い出すのではないでしょうか? 件の作品は宇宙人は宇宙人であると云うこと自体が悪であるかの如く見る人々の偏見から現実に存在する差別問題とも相通ずる面があり、問題作にして名作とされました。
思うのは、情けないことに人類が50年も前から差別を巡る問題に対して種族として成長していないことを痛感させられたことでした。 『BLACK SUN』では、怪人との共存共栄を認めるか、怪人を人類の敵として一掃(追放or皆殺し)を求めるかでデモをする群衆が激しく対立するシーンが度々出て来ます。 怪人容認派も拒絶派も一つ一つの云い分を聞く分には部分的に頷ける点もあるのですが、対立する相手を論激する際にはヒステリック且つ暴論的になり、その立ち居振る舞いは眉を顰めたくなるものが有ったのですが、現実のデモでも同じことが起きています。
『仮面ライダーOOO(オーズ)』で火野映司(渡部秀)が、「人間は正義の為ならどこまでも残酷になれる。」と一定ことがありましたが、差別は差別している側が「正しいことをしている。」と思い込んでいるだけに質が悪く、まだ金銭づくや損得勘定で敵対する者の方が説得したり、分かり合えたりする余地がある気がします。
同じ人間は決し存在せず、世の中には様々な価値観があるので対立が生まれるのは仕方のないことです。ただ、敵対しているからと云って相手に何をしても良いことにはならないのですが、そこに差別が絡むと差別する相手には何をしても良いと言いたげな雰囲気が散見されます。 現代日本国における政権与党にも差別発言を繰り返している者が見られますが、質の悪いことに彼女も彼女の所属する党も「差別はいけない。」としつつも、当人は差別発言を繰り返し、所属政党はそれを責めもしません。庇ってはいませんが、黙認に近いと云わざるを得ません(恐らくはレイシストからの評が欲しい一方で、それを明らかにして叩かれるのを避けているのでしょう)。
ただ、難しい問題ではあります。 差別問題は大きく取り上げすぎるとかえって差別を助長しかねないところがり、差別を認めない為には時として現代日本に差別対象が法的に存在しないことを訴える為にも差別されている対象に焦点を当てることが憚られることもあります。 かと云って、差別が存在するのに「無いことにする。」という訳にも行きません。「触れずに済めばそれに越したことはない。」と考える人も多いでしょう。
『帰ってきたウルトラマン』の「怪獣使いと少年」に対しても、『仮面ライダーBLACK SUN』に対しても、いつの日か、「ああ、差別が問題になっていた時代もあったね。」と見られる日が来て欲しいものですが、この半世紀の世の変化を見ると当面期待出来そうにありません。 『仮面ライダーBLACK SUN』では「仮面ライダー50周年記念作品」と銘打たれていることもあってか、作中では50年の時の流れが描かれていますが、個人的に50年経っても差別問題に成長しない人類への皮肉が込められているような気もしました。
価値観の相違を巡る対立はなくせずとも、相手の生まれ持った存在を否定する差別だけでも一日も早く根絶されて欲しいものです。 ではまた来月。
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No.257 2024/03/11(Mon) 20:59:38
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