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御来房の皆様、こんばんは。 毎月五日の担当、戦国房薩摩守です。
毎年五月は、塙豊臣家の滅亡(八日)、天然痘撲滅宣言(これも八日)等が思い起こされるのですが、今年一日、朝日新聞の朝刊を見て驚愕しました。
今を去ること六九年前の五月一日、この日は水俣病が公式に発見された日、とされています。 勿論既に発病したり、死亡したりしていた人々はその一〇年以上前から見られていたのですが、昭和三一(1956)年のこの日、チッソ工場付属病院の院長だった細川一が「原因不明の中枢神経疾患の発生」を水俣保健所に報告しました。
このとき、二人の幼い姉妹が相次いで発病し、お姉さんの方は数年経たずして幼い命を散らしたのですが、この姉妹の悲劇は中学生の時に知り、その後何回か書籍やテレビで目にしたことがありました。 驚愕したのは、二人の姉妹の、妹さんが今もご存命だと知ったからでした。
正直、幼くして重篤な病、それも治療不可能で、同じようにしてり患したお姉さんが程なく命を落としたことから、妹さんには甚だ失礼ながら、年齢的にも天寿を全うしていたと思い込んでいました。 重篤な病を抱え、しゃべることも儘ならない身で七〇年近く生き延びた生命力に感心し、一方でそんなに長く苦しまれていることに涙を禁じえず、また水俣病患者の病状が千差万別なのは知っていましたが、その幅広さが想像以上であることに愕然としました。
薩摩守は過去作」「対公害闘士列伝」を作った後に、実際に水俣市を訪れ、水俣病資料センターを見学し、水俣病に罹患しながら、病状が重篤ならざることでなかなか認定患者とされず、補償の対象外とされ、軽い病状が加齢とともに重篤化して尚、認められないケースがあるのを知っていましたが、罹患から70年近く生きる人がいるのであれば、個々人の生命力や、リハビリ⦅病態は不可逆でも、進行を遅らせることはある程度可能だそうです⦆の成果で、病状が軽く済む一方で認定されずに苦しむ方もいる方もたくさんいて、なかなか一定の水準も設け難いであろうことを思い知りました。
水銀中毒に(病状・差別・政府や企業との交渉等も含め)七〇年も苦しまれることがどれほど悲惨な話なのか……………一日ででも長く生きてほしい一方で、余生に対して少しでも周囲の助けがもたらされることが願われてなりません。
今回は暗い話になりましたが、人類の戦いの歴史に対し、先達がどれほどの苦難を潜り抜けてきたか?その結果、どれほどの教訓を残してきたか?についてまだまだ勉強不足、考察不足を思い知りました。 まだまだ精進を重ねないといけませんね。
ではまた来月。
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No.493 2025/05/09(Fri) 20:10:51
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