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オッス!毎月20日の担当、法倫房リトルボギーだ! 何?態度が悪い?まあそう固いことを云うな(お約束)。
今日話題にするのは明日(21日)に高裁判決が控えている事件についてだ。正直、明日の判決を見届けてから書き込もうかと思ったが、昨今の高裁に対する不満と、不安を事前に明らかにしたい想いから敢えて判決前に書き込んでいる。
その事件とは、日立市で起きた、妻子6人が犠牲になった事件だ。 事件について簡単に触れると、被告の小松博文は平成29(2017)年10月6日に就寝中の妻子6人を包丁で刺し、放火して死に至らしめた。 これだけで充分、「こんな奴は極刑だ!」となる案件だが、俺がこの事件に注目し、経緯を追っているのには幾つかの要因がある。
一つには、幼児虐待を初め、親が子を手に掛けた事件における判決が信じられないくらいに大甘だからだ。 「子を手に掛けた段階で親として充分に傷ついている。」という訳の分からない理由で大幅に減刑される例が後を絶たない!
少し話が逸れるが、かつて刑法の世界には「尊属」・「卑属」という概念があり、子が親を、孫が祖父母を手に掛ける「尊属に対するもの」は日本古来に儒教思想の影響が強いこともあってか、通常の罪より重罪と見做され、死刑か無期懲役しかなかった。 こうなると「虐待に耐えかねて」という、親にとんでもない問題がある場合でも被告は厳罰を免れなかった。さすがにこれは酷いと思われたのか、道場主の馬鹿が生まれたか生まれないかの頃に起きた栃木県での悲惨な事件をきっかけに最高裁で「尊属への罪」が「法の下の平等」に反する意見概念とされ、以後尊属殺は適用されなくなり、後に刑法からも正式に削除された。
このこと自体は悪い話ではない。 ただ、「尊属」への罪が厳罰対象とされたと云うことは、親が子、祖父母が孫を対象とした「卑属」に対する罪は処罰が寛大になる傾向があったことを意味し、これまた「法の下の平等」に反する様に俺には想われるのだが、これはいまだに続いているように思われてならない。
とまあ、身内間の事件についてはいろいろ歴史や背景からも思うところ、考えるところが多い訳だが、当事件の被告である小松は働きもせず、妻子を虐待し、妻から離婚を切り出され、「他人の物になるぐらいなら………。」という身勝手な理由で妻子6人を手に掛けており、さすがにこの罪状に対しては水戸地裁にて死刑判決が下った(ちなみに水戸地裁で取り扱った裁判員裁判としては初の死刑案件である)。
この事件に前後して小松に関して、「無理心中を図ったものだが、死に切れずに自首した。」とか、「取り調べ中に心肺停止状態に陥り、事件前後の記憶を亡くした。」などと、様々な意味で顎を落とさずにいられない話が入って来た。 一応、小松自身は言葉の上では、「極刑もやむを得ない。」、「死刑なら受け入れる。」として、写経して日々を過ごしているらしいが、地裁での死刑判決後、当然の様に控訴した。
控訴が弁護士による入れ知恵なのか、小松自身殊勝な振りをして死刑を受け入れる気が更々ないのかは、俺には分からん。 死刑判決の通例から云えば、地裁で死刑判決が下って、被告がそれを受け入れる気でいても、弁護士は100%控訴する。ただ、被告人にはそれを取り下げる事由があり、それにより一審で死刑が確定した例も存在する。 つまり、小松が本当に妻子の死に罪悪感を抱いており、命をもって詫びる気があるなら、控訴を取り下げて死刑を受け入れれば良い。だが、結果として明日の高裁判決を待っているのが現状だ。
ここで独断と偏見を挟むが、俺は小松の記憶喪失を詐病だと思っている。勿論専門家ではないし、証拠もなく、専門医が心肺停止によって小松が記憶の一部を失ったことに間違いないと証言していることは承知している。 ただ、小松が喪失した記憶部分が余りに都合が良過ぎると思われてならないし、仮に本当に記憶を失っていたとしても、事件を起こした時点の責任能力に疑問は無く、そんな事実を完全に無視して死刑を課すべきであるほど小松の罪状は非道極まりないと思っている。
人数的にも、動機的にも、判例的にも、小松の死刑は確定事項だとは思っている。ただ、これまでも裁判員裁判による死刑判決が覆りまくってきたことや、子供への虐待殺害に対する判決の大甘さから一抹の不安が拭えない。 殊に司法の世界には、死刑に関しては素人の判決なんかに、これまでの判例を少しもはみ出させて堪るかと云いたい気な意固地さが蔓延されているように思われてならない。
勿論これは俺の独断と偏見だが、同じフィーリングを抱いている人は少なくないと思う。そうでなければ一審の死刑判決がことごとく覆るだけでなく、その様なケースに対して高検までもが弱腰になって上告を断念するケースの続発に納得がいかない!
永山基準や、情状酌量を無視しろとは云わない。 ただ、どんなに同情すべき事情があったとしても絶対に許すことの出来ない限度を超えた酷い罪状は確かに存在すると俺は思っている。 明日の判決では、しっかりと小松の罪状を重んじ、訳の分からない回避理由に耳を貸さない判決を望む次第である。
ではまた来月。
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No.97 2023/04/20(Thu) 16:29:24
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